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宮本浩次氏エレファントカシマシ感想Ⅴ

 ひとはいつ夢をかなえるのか。「一生をかけて」と最新曲"sha・la・la・la"で宮本浩次氏はいう。「一生をかけてかなわぬ夢を追い求める」と。氏はこの曲でおそらくそういうのだ。だからこそ歌のなかで白髪まじりの紳士は温容な見た目とは裏腹に心の奥底ではずっと叫んでいる。

 だが夢は本当にかなわないのか。たとえば、この曲で物語られる夢は「いかした大人になること」である。こうした個人のささやかな夢は人生のある時期にさっと実現してもいいようにも思える。じっさい、宮本浩次氏はすごく格好いい大人である。やはり夢はかなうのでないか。

 ここで、ライブMCで氏がいう「どーんと行こうぜ」の言葉を思い出そう。そう求めた夢のおおきさを想到しよう。たとえ傍目に成功と見えたとしても、ある瞬間祈るように求められた輝かしさには到底およばない。"sha・la・la・la"は明るい曲だがこんな苛烈な渇望が垣間見えるのだ。

 また、この曲をはじめて聴いたときに泣いてしまった。なぜなら自分が夢をまともに追いかけているとはとても思えないから。日々の仕事にあくせくとして、自分の夢を追いかける真摯さを失った私にさえ、"sha・la・la・la"で氏はお前はいまどうなんだとやさしく語るように感じたからだ。

 ともかくこうして、あらゆるひとが夢の途上に立つことになる。サビの「シャラララ」は軽やかで切ない不思議な効果を生む。それはすでに失った夢と向き合うような切なさであり、未来の希望にいざなうステップのような軽やかさがある。この曲の「シャラララ」とは夢とのダンスなのだ。

 私たちがいま自分の夢と一緒におどること。それはひと時のファンタジーにすぎないか。だれもひとしく訪れる最後を前にした慰撫にすぎないのだろうか。ちがう。宮本浩次氏のスキャットは自分と夢がむつみ合う甘い時間をつむぐと同時に、夢を確かに生きようとした自分への覚醒へといざなう。

 "sha・la・la・la"は小粋なロック・バラードの外観をたもったまま、人間の一生に去来するような巨大な物語を収めている。あなたはいま夢を追い求めるのか。かつて追い求めたのか。そんなことは些細なちがいにすぎないだろう。なぜなら見上げれば、いま夢は夜空の星のようにとびきり輝いているからだ。

 以下は公式の引用を。超おすすめです。


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