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『墓碑銘』(小島信夫、講談社文芸文庫)の感想

 裏表紙に「アメリカ人の父親と日本人の母親の許に生まれたトーマス・アンダーソンこと浜仲富夫。日米開戦を機に、日本人として生きることを強いられる」とある。この小説は、この「私」の視点に密着して描かれている。
 そのことは「立ちどまると、私の妹がいった。」(p1)という第一行からも明らかである。視点ばかりではない。精神の動きに密着しているために、日本軍に入営するまでの経緯も、軍隊での体験も読者は展望することはできない。
 そのことは第一行でも感じることができる。「私」がなぜ「立ちどまる」のか、それが分からない。描写は精神の動きに密着しているが、その精神を展望することはけっしてできないのだ。
 戦争小説の嚆矢田山花袋の「一兵卒」と比較してみよう。「渠(かれ)は歩き出した。」で開始されるこの小説もまた、「渠」の視点に密着するようにして描かれている。つまり、戦争というリアルのさ中において、「渠」はあくまで「一兵卒」としてあるべきで、名前さえも不必要である。
 しかし、『墓碑銘」「一兵卒」の第一行はまったく異なるだろう。
 「一兵卒」が戦場のリアルとして「歩き出した」のに対し、「私」が「立ちどまる」ことは反対の運動を持つ。具体的に読めない戦局の変化が告げられたこの瞬間で、このことがささいなことなのか、深い理由があってのことなのか、戦場のリアルを離れたこのふるまいの意味は不定だ。
 「一兵卒」が病苦と衰弱の果てに「彼は既に死を明らかに自覚していた。けれども別段苦しくも悲しくも感じない。(略)問題にしているのはかれ自身のことではなくて、ほかに物体があるように思われる。」という境地に立つ。そして『墓碑銘』の「私」は初めから「問題にしているのはかれ自身のことではなくて、ほかに物体があるように」自身を取り扱うようだ。
「私はそのとき、ふと自分にも信じられぬことをした。私は自分の家へ帰ると、いつも、自分のワキガをかいでみるくせがある。私は泣いていたところなのに、その動作をする気になったのだ。」(p30)
 
こんなシーンこそ、「苦しくも悲しくも感じない」人間が、自身のことを「物体」のように取り扱う場面となぞらえることができるように思う。
 なぜ『墓碑銘』の私は、初めから臨死の「一兵卒」のようにふるまうのか。
 きっとそれは「私」もまた最初から戦場にいて、「死を明らかに覚悟していた」からだ。「私」は「アメリカ人」でも「日本人」でもない。人の扱いは「私」を別のリアルに巻きこむ戦争といえる。
 つまり「私」自身のリアルは明らかな世界にない。そして、実際の戦争のリアルは軍人の全てを「一兵卒」に変えてしまう。けれどもその結果得られるのは、「彼らは私のことを忘れはじめた」(p271)という一事のみである。
 「ただ、この苦痛、堪え難いこの苦痛から脱れたいと思った」「一兵卒」の述懐だ。『墓碑銘』の「私」が「立ちどまる」のも「苦痛から脱れたい」からでないか。人生を通じた「苦痛」を彼が愛する妹の傍で忘れるために。それは永遠の安らぎとはなりえない。けれど彼はこの小説で何度も妹の傍に「立ちどまる」ことになる。
 「一兵卒」が姓名を「軍隊手帳」によって読みあげられ、それが「渠」のアイデンティティとなるのに対し、「軍隊手帳」に手記を書きつづる『墓碑銘』の「私」は、最後まで名乗るべき、読みあげられるべき名前を持たない。
 つまり、「私」は「墓碑銘」に刻まれる一つの名前を持たない。タイトルや名前は存在に片をつける「墓碑銘」だろう。けれど「私」を証すのは、「私」が生きた全てであるほかない。
 だから、「私」の手記の全てが「私」となる。このとき「私」は「自分の皮膚」「ぬごう」としみなぎる毛細血管のように、鮮明で同時に混沌とした形象となる。少なくともこの小説の読者はラストにその形象のすごさを目撃することになる。
(小島信夫氏は第三の新人としてデビュー。『アメリカン・スクール』の戦後社会の皮肉、『抱擁家族』の現代の家族のキズとキズナ、『別れる理由』のメタでピュアな作風のどれも魅力ですが、フォークナーを日本文学にぶちこんだような、『墓碑銘』が最高に凶悪な傑作です。)

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