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『其面影(そのおもかげ)』(二葉亭四迷、岩波文庫)の感想

 『其面影』はイライラする話である。
 主人公の婿養子の大学講師哲也は妻時子と義母とよそよそしい関係を続けている。時子には、腹違いの妹の小夜子がいるが、時子も義母も彼女をいじめこき使っているのだ。哲也は小夜子が大事に思えてはならない。
 本作はこんな必殺仕事人+シンデレラのような出だしではじまる。もちろん、ここにはチャンバラも魔法もなく、あるのは人間関係の摩擦のみだ。

「夫婦間の衝突は隠居の厭味だらだらの仲裁で収まるともなく収まって、哲也は毎朝苦い面(かお)をして相変わらず学校へ行く。けれども、収まるべきして収まったのではないから、衝突の痕を自ら家族間の関係に留めて、それよりして母子の哲也に対(むか)う態度は、一は一層悪慇懃になり、一はやや謹慎になって妄(みだり)に鋒鋩(ほうぼう)を露さぬ代り、始終不吉な面を膨らして、動(と)もすれば二人して茶の間に閉籠(とじこも)り、額を鳩(あつ)めて密談に時を移し、時としては潸々(めそめそ)泣いていることさえある」(p66)

 という具合に誰かがスッキリ勝つこともなくストレスが続いていく。
 読者はいつまでもこのイライラにつきあわされるのかと思うすぐに、不意に哲也が小夜子とのプラトニックをかなぐり捨て、恋愛関係に入るのである。
 これが駆け落ちではなく妻母との「半別居」によってなされることが、哲也という人間の意気地のなさをよく示している。そして哲也は意気地=意志がないために、結局哲也は家も家庭も小夜子も失う。
 この意気地なしはとても魅力的だ。酒浸りになり「児童のようにオイオイと、四辺構わぬ大声で泣出し」(p226)「『銭がない……』また莞爾(にこにこ)となる」(p227)哲也は本当に好きだ。
 周囲より繊細な文学的な我というものを、人は生きる必要もないし、生きる上で余計なものになる。こんな風に感じるのは、私が二葉亭ファンであるからかもしれないが。
 

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