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《大学入学共通テスト倫理》のための空海

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。空海(774~835)。キーワード:「密教」「真言(しんごん)」「真言宗(しんごんしゅう)」「大日如来(だいにちにょらい)」「即身成仏」主著『三教指帰(さんごうしいき)』『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』

これが空海

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幼名は「真魚(まお)」だと伝承されています。一瞬、ちゃん付けで呼びたくなりました。

📝空海と言えば真言密教、そもそも密教って何?

応身と化身との教説を、顕教という。その表現内容は表面的で、しかも簡略であって、相手の素質に応じて説かれたものである。これに対して真理の当体である法身仏の説法を密教[密蔵]という。その表現内容は、秘密で奥深く、真実の説である。/応・化の開設を名づけて顕教と曰う。言、顕略にして機に逗えり。法仏の談話、之を密蔵と謂う。言、秘奥にして実説なり。(『空海コレクションⅠ 秘蔵宝鑰 弁頭密二教論』(宮坂宥勝監修、ちくま学芸文庫)から引用、ただし「/」の後半の原文のルビは全て省いた)

空海じしんの言葉で説明してもらいました。一般的に大乗仏教は一切衆生(全ての民)の救いを目指すものであるため、その教説は生活者にも実践でき、空海目線では浅いものだったようです。その大乗仏教を顕教と呼んで分離し、激しい修行などにより悟りを得ようとする宗派が密教です。

📝密教僧には日本式魔法使いのイメージがあります!

孔雀明王(くじゃくみょうおう)は、仏教の信仰対象であり、密教特有の尊格である明王の1つ。 衆生を利益する徳を表すとされる。(略)孔雀は害虫やコブラなどの毒蛇を食べることから孔雀明王は「人々の災厄や苦痛を取り除く功徳」があるとされ信仰の対象となった。(略)また雨を予知する能力があるとされ祈雨法(雨乞い)にも用いられた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、孔雀明王のページから引用)

「真言(しんごん⇒主に神の名などの呼びかけ・その音や文字事態に力があるとされる言葉)」と「陀羅尼(だらに⇒繰返し詠唱して呪力を高める言葉)」を繰り返し唱え、法力を衆生の利益のためにふるった密教僧は、「加持祈祷(除災のために祈ること)」を多く行い、日本式魔法使いのイメージがあります。マンガ『孔雀王』などで印を結んで呪力を発するさまなどもおなじみです。あと、世界の隅々まで神が存在することを図化した、「曼荼羅(マンダラ)」を行に必須としているのもこの密教です。

📝空海と真言宗が何より求めたのは悟りです!

806年(大同元年)、唐から帰朝した空海は、密教のみが悟りの境地へ深達するための真実門であるとして、東寺を都における活動の場の中心に、真言密教を広めた。(フリー百科事典「ウィキペディア」、東密のページから引用)

密教は「悟りの境地」に至ることを何よりも重んじています。普通の大乗仏教と比べ、個人の可能性の追求したものだと言えると思います。なお空海が広めた密教を「東密」と呼び、天台宗の密教を「台密」と呼びます。

📝空海は、控えめに言って可能性のカタマリでした!

空海はまったく無名の一沙門だった。(略)5月になると空海は、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降約半年にわたって師事することになる。(略)8月10日には伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられた。(略)このとき空海は、青龍寺や不空三蔵ゆかりの大興善寺から500人にものぼる人々を招いて食事の接待をし、感謝の気持ちを表している。(フリー百科事典「ウィキペディア」、空海のページから引用)

2年(実質1年)の留学の間に、無名だった空海は、中国密教の後継者として客を招く立場に立っています。留学前から中国語がペラペラだったり、中国に着くと僧般若からサンスクリット語を学んだり、日本史上最大の天才と呼ばれることが多い空海です。上の引用の「沙門」は「特権階級ではない一修行僧(男性)」のこと。空海が自らの名乗りとして最も好んだものです。

📝空海の悟りは個の追求という面があると思います!

このような自他円満なる法身大日如来は
あるがままに行者の身体・言葉・意の働きに具わって
(かくの如くの自他の四法身は/法然として我が三密に輪円し)(『弘法大師 空海全集 第一巻』(筑摩書房)から引用、ただし引用のルビは全て省いた)

これは空海の『秘密曼荼羅十住心論』から。自分の中に神がいること。この宗教的感覚を徹底しようとしたものが空海であり、真言密教であると言えるでしょう。修行によって、単に存在している以上の存在感覚を生きようとする意味で、個の可能性の追求していると言えると思います。ちなみに、『十住心論』は「即身成仏(この身がそのまま仏になる)」の立場から大日如来信仰を説いた晩年の集大成です。

📝空海は他者の可能性を尊重していました!

空海が築池別当として派遣され改修を行ったため、これが曲解され「空海が拓いた池」ないしは「空海が渇水にあえぐ民のため、地に釈杖をついて湧き出させた水が池となった」などの伝説(弘法水伝承)を残す。香川県下における空海伝説の代表的な存在の一つでもある。(フリー百科事典「ウィキペディア」、満濃池のページから引用)

これは空海の満濃池(まんのういけ)の話。空海は故郷香川県の灌漑用の池を作る現場監督を命じられて取り組みます。空海の人望を買われて政府から命じられた仕事のようですが、空海にあっては、個の追求と他人への奉仕に溝を感じさせません。密教によってつかんだ個が、しぜんと他者の尊重をうみだしているという結構を感じます。

この時代、原則的には中央の教育機関であった大学は主に貴族の、地方の教育機関であった国学は郡司の子弟を対象とするなど身分制限があ(略)った。空海は、こうした現状を打破しようと、天長5年付で「綜芸種智院式并序」(『性霊集』巻十)を著して、全学生・教員への給食制を完備した身分貧富に関わりなく学ぶことのできる教育施設、俗人も僧侶も儒教・仏教・道教などあらゆる思想・学芸を総合的に学ぶことのできる教育施設の設立を提唱し(略)広く世間に支持・協力を呼びかけた(フリー百科事典「ウィキペディア」、綜芸種智院のページから引用)

これが空海の「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」。「給食制」がポイントです。貧しきものも生活に思い煩うことなく学ぶことができる。またその学びを、宗派にこだわることなく開いていることもグレートです。

📝最後に書の名人空海の著作を覗きましょう!

亀毛先生に登場してもらって儒教を説くお客さまとし、兎角先生にお願いして主人役になってもらう。また虚亡隠士においでねがって道教に入る趣旨を述べていただき、仮名乞児を煩わして仏教の教理を説明してもらう。/亀毛を請うて以て儒客とし、兎角を要めて主人と作す。虚亡士を邀へて道に入る旨を張り、仮名児を屈して出世の趣を示す。(『弘法大師 空海全集 第六巻』(筑摩書房)から引用、ただし引用のルビは全て省いた)

これが空海の『三教指帰』。儒教、道教、仏教の専門家が教えを説いて、比較しつつ仏教を広めている書。この明るくリズミカルに自身の主張を伝えるさまをみると、空海が多彩な文章家であると分かります。なお、この書物の冒頭と末尾に空海が出家を志した経緯が物語られています。この中で「虚空蔵求聞持の法」という万能の記憶力を得られる法を修行僧に授けられて仏教の道に開眼した話が有名です。万能の記憶力を一瞬うらやましく感じますが、100万回経を唱える無心の修行が必要だそうで、私には到底実行できません。

天地は経典の入れ物
(乾坤は経籍の箱なり)
(『弘法大師 空海全集 第六巻』(筑摩書房)から引用、ただし引用のルビは全て省いた)

これが空海の『性霊集』。空海の文章がいろいろと収められています。歯切れのいい言葉で、深々とした認識を述べた、こんな詩が読みどころでしょう。「この世はでっかい宝島」レベルで、現実世界が自身の真理をつかむ場所であるという意欲を感じさせる名言です。

後は小ネタです!

短期留学で瞬く間にサンスクリット語が必須の中国密教を会得した天才空海。この彼を竹内信夫氏は『空海入門ーー弘仁のモダニスト』(ちくま新書)の中で「日本人で初めて『横文字』を読んだ人」と書いた。空海の破格の新しさをよく教えてくれる言葉だと思う。

空海が平安時代に図像を持ち帰ったのが日本での信仰のはじまりだという不動明王。そこに中国の五行思想を加えて江戸時代に信仰された五色不動。この五色不動めぐりは、いまも東京観光として人気である。(東京の「五色不動」は、日本三大ミステリに数えられる奇書、中井英夫のミステリ『虚無への供物』にも登場します。謎解きが、そういう現実の厚みと重ねられてほどけていくような作風と言えばいいんでしょうか。)





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