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『或る女』(有島武郎、新潮文庫)の感想

 『或る女』は日本文学史上屈指の魅力的な女性主人公を描いているが、また同時に、彼女の無惨な落ちぶれぶりをあますところなく描写しており、これを読まされていると非常に残念な気分になる。
 ストーリーは、美貌の才媛かつ女王な早月葉子が、両親も亡くなり、男関係を見切りつつ木村という男に嫁ぐために客船に乗りアメリカに向かうが、船で働く倉地というマッチョなイケメンとW不倫関係に陥り、日本に帰国してしまう前篇。そのスキャンダルを新聞に暴露されながら、倉地と不倫から事実婚の関係に入りつつも、木村との婚約、金や妹たちや子供をどうしようかと考えているうちに、どんどん精神と肉体を病んでいき、疑心暗鬼、嫉妬、怒りのまま自他を痛めつける言動を繰り返していき、「死ぬに限る」(p513)とまで追いつめられていく後編の構成である。ちなみに、モデル小説である。
 そこで倉地じゃないだろう、というツッコミは入れる価値はあると思う。前篇での倉地への恋心は、同船したマダムに対するライバル心や、ひたすら性的対象として扱われることから生まれている。後編では倉地を恋することで生まれる邪念を自らを律することができない。悲惨さよりも、「何でこうなるかなあ」という残念感を抱いてしまうものだ。
 しかしここには究極の問いが潜んでいるようにも思える。ざっくりと言えば、「幸福は信仰の中にしかないではないか」という問いがそれである。葉子はいかにも不幸だが、葉子以外の生き方を考えるときはたと思い当たる。私たちの持ちうる幸福は、前篇にある「我れ既に世に勝てり」(p104)という世界に許される(克服する)実感も、後編「自分の恋に絶頂があってはならない」(p373)と他者を愛し愛される実感もつきつめないままの、信仰にすぎないのではないか。世界か恋か、この二者択一にどちらも敗れた早月葉子の無惨は、ただ残念と扱われるものでなく、人間の心の両極を生きた主人公なのだ。

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