イタリア映画ってどんな映画?
山田香苗(日伊協会イタリア語講師)
第2回 人間の業(ごう)
奇想天外な物語
2001年にサイレント時代から80年代までのイタリア映画50本を一挙上映するという記念事業がありました。本国では有名でも日本では未公開の珍しい作品が多数ラインナップされ、字幕作業に人手はいくらあっても大歓迎ということで、幸運にも異色の作品『猿女』(La donna scimmia 1964)に出会うことができました。身もフタもないタイトルですが、イタリア映画通の知人たちは口をそろえて“すごい名作”だと言うので半信半疑で見てみると...…
あらすじ
主人公の若い娘マリアは先天的に全身が深い体毛で覆われ、世間から身を隠すように貧救院で賄いをしていましたが、物珍しさに目をつけた興行師アントニオから「広い世界を見せてやろう、お前をスターにしてやる」と説得され、一緒に暮らし始めます。“探検家、アマゾンの奥地で猿女を捕獲”という見世物で何とか生計を立てる2人ですが、アントニオは情愛細やかなマリアを商売上のパートナーとしか見ていません。貧救院のシスターから結婚するよう言い渡された彼は式までも宣伝に利用し、ウエディングドレスを着た毛むくじゃらのマリアを連れて街頭を行進します。野次馬にもみくちゃにされ、泣きながら「花嫁」を歌わされるマリアのクローズアップはこの映画の中で一番残酷なシーンですが、“悲劇と喜劇は紙一重”をとても象徴的に表現しています。
やがてマリアは女として妻としての意識に目覚め、パリのレビューで売れっ子になり、子供を身ごもります。ところが危険を覚悟で産んだ子も毛むくじゃらで、それを知らずに彼女は息を引き取ります。亡くなる直前、アントニオは赤ん坊が死産だったことを伏せ、「元気だよ、体毛なんて1本もないツルツルの男の子だ」と、マリアを安心させるのですが、このまま夫婦の情愛を描く感動ドラマで終わるわけがないと思っていても、ジーンとくるセリフです。
案の定、ラストには人道的にどうなの?という後日談が待っています。アントニオは博物館が買い取った母子の遺体を強引に取り戻し、世にも珍しい親子の怪物として、死してなお2人の亡きがらでひと儲けしようとたくらむのですが、客寄せの口上を述べる彼の口調は次第に重くなり、顔には疲労の影がにじんでいます。
鬼才マルコ・フェッレーリ
監督のマルコ・フェッレーリ(1928-97)は社会の偽善をラディカルに風刺する作風で知られていますが、この不条理でタブーに満ちたドラマに喜劇の味つけをしているのは彼の作品に多数出演しているイタリア随一の喜劇俳優ウーゴ・トニャッツィです。死者を食い物にする自分の浅ましさに嫌気がさしたラストシーンの表情は、人間の業の深さを感じさせます。
美しき異形 アニー・ジラルド
ルキーノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』で、イタリアでも知られるようになったアニー・ジラルドですが、彼女の名演なくして、ここまで魅力的な作品は生まれなかったでしょう。自分に自由を与えてくれた男にかいがいしく尽くし、呼ばれれば鏡の前で毛並みのチェック、遠慮がちなしぐさで愛しい人をベッドに誘います。パリのキャバレーでは美しいヌードに薄衣をまとい、妖艶な踊りを披露します。引っ込み思案な娘から女、妻、母へと変貌するさまをコミカルにコケティッシュに演じ、コメディー・フランセーズ出身ならではの芸域の広さを見せてくれます。あの知的でセクシーなフランス女優が目鼻と口以外、びっしりと付け毛で覆われた姿をちょっとご想像ください。それがかえって美しさとエロティシズムを際立たせているから不思議です。先にこの役をオファーされたソフィア・ローレンは断ったそうですが、一体どんなマリアになっていたでしょう?!
実話だった?
じつはこの話にはモデルとなった女性がいました。1834年にメキシコに生まれ、先天性多毛症といわれる遺伝子疾患だったジュリア・パストラーナはアメリカ人興行師によってヨーロッパ、アメリカのサーカスや見世物小屋でショーをさせられ、結末に至るまで映画と全く同じ運命をたどります。人権について、当時の考え方は今とだいぶ違っていたとはいえ、人間は罪深く、罪深いのが人間なのですね。
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