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何でも知ってても何にもならないよ。

 造語でもない限り、検索結果がゼロになることなんて無いくらい、ネットを使えばいろいろな事を調べることが出来る世の中になって、何でも知っている人が増えたと思う。検索能力が優れていればそれだけ速いスピードで知識を増やしていける。

 「物知りだね」という賛辞のニュアンスを含んだ言葉は時代によってその意味合いを変えている。物事を良く知るとはどういうことなのかなあと、そして暮らしていく中で、それはどれほど重要なことなのだろうかと考えたりする。

 結局、何でも知ってたって、普段の暮らしに活かせてなければ何の意味もない。周りにいる人たちの役に立ってなければ知ってた分、逆に後悔する時だってある。無力さを感じる。

 不安にかられてスマホの検索に躍起になっている時間があれば、少しでも大切にしたい人、大切にしたい事に面と向かって触れ合う時間を作る方が同じ後悔でも健康に良いような気がしてくる。

 同じ「物知り」なら、誰にも平等に与えられるネットの文字からではなく、気が付いたら知っていたという知識や知恵の方が自分だけのオリジナルの意味合いを含んでいて、応用の効く、説得力のある「物知り」になるんじゃないかと思う。実感のある知恵というか。

 だから何かに取り組むという事は怖がらずに続けて行けばいい。どんな事からでも自分という本質を作り上げるための糧を得るのだと思う。

 


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