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【エッセイ】続・一か月の禁酒

前回の記事で,一か月の禁酒について書いた。

お店でノンアルコールビールを見つけ,料理も心なしかいつもよりおいしく感じられた。

ただ禁酒をするだけでなく,楽しみながら禁酒ができそうだと確信に至ったとき,お店のドアが開いた。

ドアの前に立っていたのは,いつものおじさんだった。ドアを開けながら私のことが目に入ったのか,すでにニヤニヤしている。

(このおじさん,禁酒を邪魔する気でいるな…)

瞬間的にそう思って警戒した。

しかし,このおじさんの邪魔に打ち克つことができなければ,私は一人で家で粛々と禁酒するしかなくなる。何の問題もないが,私は人間同士のつながりを大事にする男だ。できればお店にも来たい。

いつものように私の横に座ると,

「え!ノンアルコール!?」

とびっくりして叫んだ。禁酒を邪魔しに来たのではなかったか?

一瞬戸惑ったが,すぐに理解した。このおじさんは,前回禁酒すると伝えたことなどまったく覚えていないのだ。

会社では高い地位に就き,流行に流されず,とはいえ洗練された服で身を包み,格調高い紳士を装っている。周囲からも一目置かれ,数社にまたがり経営に関わっているのは知っている。

しかし一方で酒が入るや否や,アルコールはおじさんの辞書にある「抑制」という文字をぼやけさせ,次第に身体は弛緩していき,目鼻口から液体をたらし始めるのを見てきた。

口から出る言葉はテープレコーダー(もう古い言葉となった)のように同じことを繰り返し,本人は毎回新鮮な顔で楽しそうに話しているのも何度も見てきた。

禁酒の話を伝えたのはお酒の場での話であり,ゾンビのようになっていたおじさんに伝わっているはずもなかった。

一体さっきのニヤニヤは何だったのか。長年の蓄積で分解しきれず残ってしまったアルコールの作用なのか。得体が知れない。


めんどくさいながらも再度事情を説明すると,

「そうなんだ!頑張ってね」

と以外にも素直に理解してくれた。さすがは方々から信頼を得る格調高い紳士だ。酒を飲むまでは。

その後も一人二人と常連はやってきて,「お,本当に禁酒してるんだ!」とか「いつまで続くかな?」と好き勝手に挑戦的なことを言われながらも,楽しく一緒に飲んでいた。


それから30分ぐらい飲んでいると,ニヤニヤのおじさんが店員にお猪口を複数持ってきてくれるように頼んだ。

始まった。

このおじさんは,一合の日本酒を皆で分け合うのが大好きなのだ。こうしないと飲んでる気がしないらしい。断ってもしつこく注がれるので,最終的に皆断れずにおじさんの術中にはまっていく。

さらにおじさんは「長くだらだら飲むのが好き」ということで,延々と日本酒を飲み続ける。ゾンビになりたい人にはお薦めの呑み方だ。

しかしさすがに今日負けてしまったら,禁酒は一週間で終わってしまう。固く締めた決意の緒が緩んでいないことを確認して,毅然とした態度で臨まなければならない。

店員がお猪口を持ってきた。

おじさんが,年齢の高いおじさんから低いおじさんへと順に注いでいく。最後に私の番が来た。

「はい」

と言いながら私の前にお猪口を置き,日本酒を注ごうとした。しかし私はきっぱりと,

「今月は吞みません!」

と断った。すると,

「はい」

と同じように日本酒を注ごうとしている。聞こえなかったのか?もう一度断った。

「はい」

わざとか?それとも酔うと耳が遠くなるのか?全く動じないおじさんを見ると,少し怖くなってきた。

「今月は本当に禁酒月間なので,お気持ちだけありがたく頂きます」

と今度は長めに伝えた。

するとようやく,

「意志が固いねえ…」

とニヤニヤしながら言った。試されていたのだ。「食えない爺」とはこのことだ。

とはいえようやくひっこめてくれたので,ノンアルコールビールで乾杯してホッと一息ついた。


その後も2合目,3合目…と同じやり取りを繰り返したが,すべて断ることができた。最後は,「君の決意は本物だ!」とよだれをたらしながら褒めてくれた。

一方で,おじさんに付き合って飲んでいたので,わたしのノンアルコールビールもすでに5杯目に突入していた。

明らかにお腹が苦しい。食事も普通に終えていたので,ノンアルビールがさらにきつい。これなら日本酒を飲んでいた方がよっぽどましだ。

横を見れば,日本酒を飲み続けたおじさん達の頭がふらふらと動いている。皆口数も減ってきた。日本酒が好きすぎてなのかわからないが,普段日本酒のことをSAKEと呼びグローバル基準に合わせるおじさんも,「もう日本酒今日はいいっす…」と言っている。ニヤニヤのおじさんはやはりニヤニヤしながら半分眠っていた。

酔いゆくおじさんたちを横目に,立ったり姿勢を変えたりしながらなんとかお腹の苦しさを紛らわせていると,一人のおじさんが急に立ち上がり,「マスター、お会計!」と叫んだ。

その声に反応して「俺も」「俺も」と次々とお会計を始めた。口火を切るおじさんはかっこいい。ぱっと見はゾンビ化しているので,さしずめリーダーゾンビだ。


そんなこんなでその日の会は終了し,ニヤニヤのおじさんにはその翌々週に,ようやく禁酒をしていることを認識してもらえた。「お!もうあとちょっとじゃん!」と明るく言っていたが,このおじさんこそ本当に禁酒をした方が良い。

めでたく一か月禁酒を続けることができたが,成果は,呑みに行く機会が減った分時間ができたが,特に有効に使えたわけでもなく,体調面には少しの変化も感じられなかったのが一番悲しかった。

(写真はたけのこの炭火焼。最近の写真ではないが,これが一番好きなメニュー。毎年この時期を楽しみにしている。)

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