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【日記】「不安と数字」は万病の素

週の初めの慌ただしい一日が終わりました。

先週書いたリフレクションに関する記事は多くの方に読んで頂けたようで,とても嬉しく思っています。

一方で,あの記事を書いていた時に何を思っていたのかというと,「考えれば考えるほど,その時代の大人の『不安』が指標に反映されているな」ということでした。

そのような側面に焦点が当たっていた内容でしたから,そう浮かんでくるのは当然と言えば当然なのですが…。


何かしら最終的な成果を,他人が判断できる数値に落とし込むというのは,今でいえば当たり前の考え方ですし,私も否定する気は全くありません。

一方でそちらに偏りすぎると,やはりどこかおかしくなってくるのも無理はないよなとも思うきっかけにもなりました。

数値にして「安心するのは誰か?」ということはシステムづくりの際に頭の片隅に入れておくのが良いのかもしれません。

この業界にいると,やはり子どもの「数値」を安心材料にして(その起点は様々ですが)しまう大人を見ることは多いんですよね。
気持ちはわかりますし,私もそれに加担していますので,コミュニケーションはできるだけ多くとるようにしています。


保護者様と話すとおもしろい方向に向かっていくことがあります。

最初は子どもの学習面がとても不安で,心配ばかりされているお母さまがいました。
不安は伝播するものですから,いつも一緒にいるお子様もどこか不安そうです。
当然仲はぎくしゃくしている。

しかしお母さまともよくよく話すと,実は本質的には学習面を心配していたのではなく,ご自身の人生の不安をお子様に投影していた,ということでした。


ですから実はお子様の問題ではなかったんですね。
当然お母さまも素晴らしい方で,責める気持ちはほんの少しもありません。悪気があってそうでいるわけではないのですから。
お子様もここまで育ててくれたお母さまに感謝しています。

それに自分自身で気づいたお母さまは,前よりもずっと寛容になられました。そうすると不思議なことに,お子様の成績もスムーズに伸びるようになりました。

受験が近づくと親子喧嘩が増えるケースはよくありますが,やはり親子関係というのは,何に関しても大切なんだなと思わされる出来事です。こういうのは形は違えどよくあることです。


「周囲を気にする」というのは社会性の表れだと思いますので,これは良いことだと思っています。一方で,それにとらわれすぎてしまうと,大切なことを見落としてしまうことも多いのですね。

数値というのは,わかりやすく便利なものです。
しかし追いかけすぎると,初めはただの数字だったものに,人生で背負ってきた様々な「色」がついて,その人を捕えてしまう側面があると思います。


これは振り返ってみると,大学院でトリプルボトムライン(経済価値に加え,社会的な価値や組織の価値を加えたもので総合評価しようというもの。経済価値だけだと粉飾やるから。)の研究をしていた時に思ったことでした。

また自分の人生でつながりができておもしろい気づきでした。

(写真: 良い角度の仏像。数字ではなく仏様に不安を解消してもらおうとする人もいる。)

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