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失敗を表現すること。

高校生向けに「今後のキャリア形成を考えよう」をテーマにお話をしました。

「今後のキャリア形成」ですから,基本的に未来のことを考えます。
これまでの経験はまったく考慮せずに未来のことを考えるということでも良かったのですが,おそらく難しいでしょうから,自分の過去も振り返ってもらいました。

その中で,「自分の成功体験と失敗体験を考えよう」という項目を設けて,考えてもらいました。

大体の人が割とすぐに両方の体験を思いついて書いてくれていたのですが,中には失敗体験がどうしても思いつかない方も。

「人生で一回も失敗したことないことはないだろ…」と内心思いながら,その方とお話ししてみることにしました。

その前に,「小さな失敗を失敗と認識していないのかな?」「人に言えるような大きな失敗でないと書く価値がないと考えているのかな?」などいろいろと考えていました。

お話ししてみると,どうやら「失敗を公の場で言うことに抵抗を感じている」ようでした。

特に失敗談を全員発表せよというような場ではありません。
誰に見せるものでもない(私はちらっとは見ますが)ので,自由に素直に正直に書いてもらえると価値が出てくるワークだったのですが,失敗を文字にすることも嫌だったそうなんですね。

この方の気持ちはよくわかります。
失敗を他人に積極的に言える人の方が少ないかもしれません。
その度合いが強いというだけで,別に悪いことをしているわけではない。


そこでふと,以前にどこかで耳にした,「失敗は隠すものではなくて,表現するもの」という言葉を思い出しました。

この言葉はすっかり忘れていたので,私自身その時は特に何も引っ掛かりがなかったわけです。
ここで頭にふと浮かんだということは,私自身に何か気づきのきっかけを与えてくれているのではないかと思ったわけです。


考えてみれば,私自身も多くの失敗をしてきていますし,日常の細かな失敗を入れれば,それこそ数えきれないぐらいの量になります。

その失敗の瞬間を思い出してみると,失敗を失敗と認めずに,何か理屈をつけて前向きに捉えてきたような気がします。
これは悪いことではないように思いますが,「その失敗を味わう」という体験から逃げてきたというふうにも捉えられます。

この裏を返せば,「失敗した自分を認められない」=「失敗する自分を愛せない」ということにもつながってくるでしょう。

そうであれば当然のこと,愛せないものを表現するということは難しくなります。

今回失敗について書けなかった方と少しお話してみると,この方もそういう部分がある方でした。


「失敗を受け入れ,味わい,反省して次の行動につなげていく」と書くとものすごく基本的なことのようで,やってきたつもりではありましたが,自分もそれができていなかったのかもしれないと気づかされた出来事でした。

すべて公にぶちまけろという話ではなく,一人の時間に静かに失敗と向き合うというのでも良いかもしれません。

でも聞かれたときに「表現できる」というのは,すでにその失敗を自分で受け入れて,そんな自分も愛せているということなのではないかと思います。

失敗した自分の一方で,成功した自分もたくさんいるわけですから,最終的にはどんな自分も愛していけると,より多くの人と付き合っていけるかもしれませんね。

「自己肯定感」という言葉も流行って時間が経ちますが,なかなか難しいと感じる人が多いのもこういう理由からかもしれません。

時間がある時には,失敗と向き合うこともやっていきたいと思える体験でした。その方に感謝。


最終的にその方は心を開いて書いてくれたのですが,ここでは言えないレベルの失敗を書いてきたので,「うーん,他の考えようか(笑)」とまた悩ませることになりました。(犯罪ではないです)

(サムネイル:AIに描いてもらった「失敗」。スケールが大きすぎてもはや失敗なのかも判断不能。途中で誰も疑問を持たなかったのか…。)

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