MakOtoguro

沖縄。紅型屋。言葉なんか覚えなきゃよかった。

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沖縄。紅型屋。言葉なんか覚えなきゃよかった。

最近の記事

忌明け、味噌汁。

母の四十九日の法要が終わった。 まだよく分からんくなる時がある。 仏壇の中、ばあちゃんの隣に母の笑顔が並んでる。 時間で薄まるものもあれば、その時間分深く貯まっていくものもあるんだなーてところ。 急じゃない旅立ちなんかないのかな? どんなに患ってたとしても、やっぱりそう思うのかもだけど、うん、急だよ、そう思う。 それでも最後の晩餐、明日も続くかのような当たり前の時間、父母と親子の時間取れたのはありがたかった。 新潟からの出張帰り、まっすぐ沖縄戻らずに実家に寄った。 そ

    • 沖縄と日本とナイチャーと伝統工芸。

      母の那覇高卒業の時の寄せ書きと言うかメッセージ帳出てきた。 写真は今でも僕をとても可愛いがってくださるテル坊おばさんからのもの。 そしてパスポート持って日本の大学に入った母は、あんなにも笑い上戸でおしゃべり好きな母は、嘘みたいに声を発しない時期を迎えることになった。 年頃の女の子、その学校への沖縄から入学の子は母だけ、テレビもない時代に未知の沖縄からパスポートを持ってやって来た子に向けられる無邪気にしろ何にしろ好奇な目。 全く話せるわけもない標準語とイントネーション。

      • 言葉なんか覚えなければ良かった。

        子供の頃自分の手足や体が思い通りに動くのが不思議で仕方がなかった。 手のひらを見つめて、なんでこんな指先まで器用に動くんだろう?て、他人の手のひらのように見つめてた。 で、もっと幼い頃に雲の上に神様がいるってお話し聞いてたことと、テレビで観た操り人形を自由に操る映像が点と点を結ぶようにつながって「さては?」てなって、暇さえあればハサミに見立てて手をチョキにして、空と僕の体を結ぶ見えない糸をチョキチョキと切ってた。 「たとえ神様だろうが操られてたまるかー」って。 見えない糸だ

        • 資本主義と民主主義とおとぎ話。

          どんな道徳や倫理観も踏み越えて優先すべきなのが「生産性」や「利益」ってのが正しい資本主義のあり方なら、姥捨山的発想も「集団自決」発言も「LGBTは生産性ない」発言も、ホームレスの方や障碍者の方へ刃を向けたあれら事件(加害者らの言い分)も全て有りになってしまう。 そんなん良いわけないから資本主義はそう言うんじゃない、はずなんだけど、構造的にそうなってね?て思う事ちょいちょいあって戸惑ってる。 票を得るためには何やっても良いって態度のダメな民主主義もそれ。 そこに孕む怖さは、ダメ

        忌明け、味噌汁。

          ときわ湯とチューインガムとおにぎり。

          完全に思い出の独り言。 そして画像はネットから拝借させて頂いたものなので、すんません、なんか問題あったらご連絡下さい◎ さて 調べて沢山ヒットしてびっくりした。 糸満にあったときわ湯。 日本最南端の銭湯だったんだねー☆ もう閉まっちゃったけど ここの2階にうちのおばーが一時期住んでた。 たぶん80年代の前半。 ゴスペル幼稚園の裏のお家からのお引越し。 ネットに落ちてる銭湯の写真もすごく懐かしく 「だっただった!!」てなってる。 そんでアパートから外出てすぐに自販機があって

          ときわ湯とチューインガムとおにぎり。

          当方初心者。革命家メンバー募集。

          ネットやsnsが容易に国境を越えて行き、どんどん世界が一つになって行く、かと思いきや、実際の国よりもうんと小さい国が乱立する事になった。 その中じゃ見たくない世界は切ればいいし、その小さな国の中だけでどんどん先鋭化して、結果的に排他的な小さい国たくさんになっちゃった。 結局どの新しい技術も人間にはまだ早すぎるのかもね。 僕達の住んでる世界。 世界はいつもその内側にある全部が影響しあって出来た波紋の様なものだ。そしてまた本人は無自覚であれ波紋を作ったり影響を受けたりで日々を

          当方初心者。革命家メンバー募集。

          何者でも無い、で、いい。

          ざっくり言うと僕の家は、父方が絵の、母方が音楽の家系。 だいぶ若い頃、自分の在りようが何一つも分からなかった頃の僕は、そんな家に生まれたってことを大事な種みたいに、両の手のひらの中にぎゅっとして、心の拠り所にしてたように思う。 思春期の頃の幼く可愛い挙動だ。 そしてこれは多分どこの世界のどこの時代のどんな人にも起こりうる心の動きだと思う。 権力を手に入れた王様たちでさえ不安に駆られると「なんで自分が権力を持ってて良いのか」の理由付けがほしくなり、今度は権威を求めるんだ

          何者でも無い、で、いい。

          おはよう、8人目の盲人さん。

          子供の頃から6人の盲人と象のお話が好きだった。 ある日、6人の盲人が象を触ってその正体を突きとめようとしました。 1人目は象の鼻に触り、「象とは蛇のようなものだ」と言いました。 2人目は象の耳に触り、「象とはうちわのようなものだ」と言いました。 3人目は象の足に触り、「象とは木の幹のようなものだ」と言いました。 4人目は象の胴体に触り、「象とは壁のようなものだ」と言いました。 5人目は象のしっぽに触り「象とはロープのようなものだ」と言いました。 6人目は象の牙に

          おはよう、8人目の盲人さん。

          僕たちは「友達解散」を選ばなかった。

          凄くざっくり言ってしまえば、コロナに関する考え方、ワクチンに対する考え方の違う友達から連絡が来たって言う話だ。 たぶんそこらじゅうで分断の種になってる話だと思う。 バンド存続が不可能になった話なんかも聞いたし、そうなるのもわかる気もする。 で、そしてタイトルの通り、それでも僕たちは友達を続ける道を選んだ。 連絡をくれた彼女は僕からしたらとても大事な友達。 彼女からしても、遠く離れたとこで暮らす僕を本気で心配してくれたからこそ連絡してくれてるのだ。 まず先に、詳細は置い

          僕たちは「友達解散」を選ばなかった。

          ホンモノノトモダチ

          内地の親友とラインでAIが作ったニルヴァーナの曲についてあれこれ感想やら、やり取りしてた。 こんなとこまでAIが来てるんなら、誰かっぽい言い回しで、誰かっぽいリズムで誰かが言いそうな事をその人の声で喋り出したら、もう電話や音声だけの媒体じゃコロっと騙されるかもね。 とか いやいや、名優だらけのAIだけでもう映画とかだって作れるんじゃない? とか。 いわゆる「不気味の谷」なんか容易く飛び越えちゃうようなレベルになってしまえば、きっとすんなり受け入れちゃうのかもなー ラジオ

          ホンモノノトモダチ

          砂場でお城を作るみたいに僕らは世界を作った。

          すげーシンプルに、と言うか雑ぅに言ってしまえば、世界は事実なんかでは出来てなく、それらをどう捉えてるかって言う認識で出来てる。 だからあなたにとっての世界とまた別の人にとっての世界が同じわけはない。 100人の人が同じ映画を見たとしたら、それを作った監督は100本の物語を作ったって事なんだと思う。 監督(事実)が望んだ世界をそのまんま受け取れる人なんかいるのかな? それぞれの認識 それぞれの世界 どの認識も全部当たってるし、だから全部間違ってるんだ。 とは言え時勢

          砂場でお城を作るみたいに僕らは世界を作った。

          素晴らしきこの世界(仮)

          みんな疲れてるんだよなー て思う。 たとえば 本来子供とお年寄りに大人気のテレビや映画、物語がある。 特定の番組ってよりも話の作りや構成の部分。 それはヒーロー物や時代劇。 百ゼロで語られる勧善懲悪物だ。 共通点は頭使わないで楽しめるってところ。 子供はまだ思考回路が未完成で複雑な話しは理解も興味も追いつき難い。 お年寄りはじゅうぶん頭使って来てるから、娯楽として頭を休めたかったり、と。 で、その二つの世代が特にそうってだけで、どの世代だって頭ぼんやりとリフレッシュ

          素晴らしきこの世界(仮)

          ただ在る。

          ーーーーー川の中のお話ーーーーー よく言われるようなことだけど、例えば川の流れがあって。 毎日同じに見えてるけど、中から石ころ一つ取り出せば水の流れが石ころ一個分変わるわけで。 その石ころが在ったおかげで、その場所にジッとしてられた他の石が吹き飛ばされて、 そのせいで飛んでった石の下で静かに休んでた小さな虫が流されだして、 下流でエサも取れずにフラフラ漂ってた稚魚が二日ぶりのご馳走にありつけるかもしれない。 元気に育ってやがて立派な川の主になって、川遊びが大好きな

          ただ在る。

          新しい王様

          どっちかと言うと僕自身の頭の整理のために書く。 僕の頭程度の理解だから間違いもあると思うから、架空の昔話くらいのつもりで書いていこうかな、そのほうが僕自身にも優しそうだ。 昔々、僕たちは王様やごく一部の特権階級の者たちをその座から引きずりおろした。 それはわがままな自分勝手さとかからなんかじゃなくて、人間として生きていきたいと望んだから。 そうして手に入れた自由は、それはそれは素晴らしいものだった。 迫害される心配は消えやしないけど、それでも時代とともに少なくなって

          新しい王様

          僕は僕の半径5mの平安を願う。

          もっと言えば3mでも良い。 そしてこれは実際の距離ではなく、心や思いの距離。 端的に言ってしまえば、僕の家族や大切な友人達、そんな5mの中に入る人たちが幸せでいてくれたら僕はそれで良いと思ってるし、みんながみんなそんな風に考えてたら良いのになーって思ってる。 もちろんこれには続きがある。 5m以内の人たちだけが幸せでいてくれればいいのだけど、逆に言えばその中に幸せでない人が1人でもいたら僕も平和ではいられない。 で、その5m以内の人たちにも、それぞれの5m以内の大切

          僕は僕の半径5mの平安を願う。

          はれときどきぶた、あめときどきうし。

          コロナの渦中にあって、なんだかシュールなコントのような、邦画のコメディのような話を見聞きしたので、わざと真偽も確かめず、入ってきたうすーい情報だけを元ネタに、仕事しながら妄想を膨らませてみました。 ちなみに僕には特定の支持政党もないし、何かを馬鹿にしようってのもないです。 だって妄想してる自分が1番馬鹿なので。 なのでまともに取り合わないでいただけたら幸いです。 長くなったけども本題。 世界中がこの未知のウイルスから逃げ惑うように、また勇敢に戦ってる中、反応するよう

          はれときどきぶた、あめときどきうし。