ただ在る。
ーーーーー川の中のお話ーーーーー
よく言われるようなことだけど、例えば川の流れがあって。
毎日同じに見えてるけど、中から石ころ一つ取り出せば水の流れが石ころ一個分変わるわけで。
その石ころが在ったおかげで、その場所にジッとしてられた他の石が吹き飛ばされて、
そのせいで飛んでった石の下で静かに休んでた小さな虫が流されだして、
下流でエサも取れずにフラフラ漂ってた稚魚が二日ぶりのご馳走にありつけるかもしれない。
元気に育ってやがて立派な川の主になって、川遊びが大好きな小さな男の子のいる家族にささやかな
喜びをプレゼントするような事もあるでしょう。
逆に最初の石ころが無くなったおかげで流れが変わり、結果その場に居続けられた石や小さな虫もあったでしょう。
でもそのせいで食いっぱぐれた他の魚もいることでしょう。
こんなたった数行のお話の中にも沢山の出来事が起きてる。
みんな在るだけで、無いだけで。
影響を与え合って、受けあって、お世話様も迷惑も、お互い様、みんな掛け合って存在してる。
もしかしたらお世話したりされたり、迷惑かけたりかけられたり、その時々の心へのプレゼントや負担を
みんなでシェアするような感覚をお互い様って言うのかもしれないな。
そうそう
「迷惑かけてやるぞ」って言う迷惑は、ただの「悪意」であって、もう迷惑ですらないって思う。
ーーーーー調べてみたーーーーー
「迷惑かけちゃいけない」って育って来たぼくたちは、いつの間にかその言葉に新しい力を与えてしまった。
迷惑かけた人を叩いても良いって言う力だ。
力を持っちゃったこの言葉は、「親切」や「お互い様」なんかよりよっぽど目に留まるようになった。
なんせインパクトが強いから目につきやすいんだ。
で、そこまで「人に迷惑かけるな」が流行ってるなら、その迷惑をかけない状態、つまり迷惑の反対語が気になって調べてみた。
「開悟」
「かいご」、読めもしなかった。。
字の通り、悟りを開くって意味。
少なくとも僕の周りに悟りを開けてる人はいなさそう。
たぶんきっと、そんな人は生きてる人の中にはいないと思う。
つまり人生半ば、今生半ばの迷い道の人が、同じく迷ってる人に「悟れ」って言ってる感じ。
無理。。。
なのであんまり潔癖にならずに余裕をもって、「迷惑かけていいよ、僕もかけるから」くらいでいいんじゃないかな、と。
で
実はちょっと反対語の件、本筋とはちょっとズレてて、本来「迷惑」とは仏教用語で「迷うこと」て事らしい。
その仏教用語においての対義語としての「開悟」らしいのだけど、生きてるみんなはまだまだ迷いの途中だと思うから、
この説でもそこまで外れてないんじゃないのかな、ても思う。
ーーーーー幸せな国について考えるーーーーー
世界幸福度ランキングってものがある。
おそらく有名なのは、毎年北欧の国々が上位に来る方の国連が行ってるランキング。
このランキングは一人当たりの国民総生産(GDP)や、社会的支援などの、いわゆる「国の持つ経済力」や「政治力」なんかも
加味されて作られている。
そうなってくると当然、まだまだ発展の途中の国や、貧しい国なんかはランクインしにくいわけで。
で、それでも上位に入るのは勿論すごい事だとは思うんだけど、下位の国のおかげでその位置にいられるような側面もあるんでは?とも思う。
で、もう一つの幸福度ランキングがアメリカの調査会社gallupの行っているもの。
こちらはシンプルに、「幸せかどうか」を国民の主観で決めるもの。
そうすると、貧しい国や治安の良くないとされる国々も上位にランクインしてくるから面白い。
そこの上位常連国のフィジーの話が興味深かった。
だいぶ前に読んだ記事なので間違いがあったら申し訳ないのだけど。。
ある日日本の方が引っ越しした、お隣さんにご挨拶に出向き、お互い顔見せした程度の間柄になった、その翌日くらいに
そのお隣のフィジーの方が訪ねてきて「今から出かけるから、もし雨ふったら庭に干してるタオル取り込んでおいてくれる?」て。
もちろんお国柄、常識も感覚も全てちがうから一概にどうとも言えないけど、
逆の状況になる時だってあるでしょうし、何もかもお互い様で共存してる感じ。
また、頼まれる側も、その「信頼してもらえてる感」や「必要としてもらえてる感」そして「ご近所さんや地域とつながってる感」
そんなんがとっても得られるところが良いなと思ったし、それが幸福度のランキングにつながったのかな、と思った。
お世話様のお互い様。
なんか温かみのある社会。
そんな繋がりが他の繋がりともリンクして影響しあって新しいちょっと大きなコミュニティが生まれて
さらにどんどん他のコミュニティともリンクしていって、そんなして世界は出来てる。
すごいよ、だってつまり世界中とつながってるんだ。
その最初がお隣さんなんだな。
なかなかそんな事に気づきにくい仕組みの中で僕たちは過ごしてるけど
フィジーの人たちにはそう言った世界観もたやすく想像できるのかもな。
それってすごいな、そりゃ幸せだよ。
ーーーーー最後にすごく小さな話ーーーーー
僕は三年前に那覇から南部に移ってきた。
サトウキビ畑の中に集落があるような田舎。
ある時外から大きな声で
「雨降ってきたよ!!お布団大丈夫!?」て声かけていただいた。
なんだかすごく懐かし嬉しかったな。
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