私らしさって何だろう?〇〇と天才は紙一重?

思いがけず、私がひなたさんの記事で紹介されていました。と言ってもメインの優秀な人の枠ではなく、これから期待の新人欄なので、おまけみたいな感じではありますが。

そこで書かれていたのは、「もっともっとペガサスさんらしさ全開でnoteを楽しむと、一気に伸びてくる予感がします」とのことでした。

これを読んで、う~ん、私らしさって何だろう?と悩んでしまいました。自分らしさって、自分ではわからないですよね?

私の好きな理論では、コンフォートゾーン(快適領域)というのがあり、記事にもあげていますが、これは、エアコンの設定温度みたいなものです。

つまり、自分が快適にいられる年収は無意識に自分で設定していて、結局はそこに落ち着く、という理論です。苫米地英人博士はホメオスタシスとも言ってますね。

私のコンフォートゾーンの理論は、ハーブエッカーのミリオネアマインドとかいう本から来ていて、苫米地さんがコンフォートゾーンを言い出した2008年夏よりも前からコンフォートゾーンの理論を取り入れ、そのノウハウを入れた教材を2008年初めには販売していました。なので私の方が苫米地博士よりも先に言っています。別に自慢するわけではなく、客観的な事実です。

それはともかく、人間は、コンフォートゾーンから出ると、私らしくない、ということで、全力でコンフォートゾーンに戻ろうとします。

例えば、学生が、学年順位10番~30番が定位置(私らしい)と思っていて、間違って学年5番とかに入ると、気持ち悪く感じ、油断してしまって勉強やる気がなくなり、次の試験では20番以下に落ちるとか、逆に50番に落ちたら、これはヤバイ、と思って必死で勉強してまた30番に入る、みたいなことです。

そういうように、人はそれぞれ自分のコンフォートゾーンを定義しています。自分は勉強ができる子、自分は頭が悪いから名門高校には入れない、なども同じです。自分の理想の年収が400万円、1000万円、2000万円、1億円、10億円など年収についても、それぞれにコンフォートゾーンがあります。

そういう感じから言って私らしさってのは一体何なんだろう?と考えてみました。

東大卒、博士(植物ウイルス学)、元大学院大学特任教授(奈良先端科学技術大学院大学)、弁理士、特許事務所経営、自己啓発研究が趣味、IQは天才クラス、と書くと、結構嫌なヤツみたいですよね(笑

でも、東大に入ったけど、その前はクラスでもビリから2番目だったし、博士号を取ったのも会社では遅い方だったし、そんなにエリートという感じではないです。能力は他の人に負けてないと思いますけど、押し出しが弱いので、他人を押しのけて客を取るというのができません。

ということで、私は結構チキンなヤツではあります。ただ、頭は結構いいと思います。天才かも知れません。しかし、会社の偉い先輩がいうには、天才ってバカの中に放り込まれると、殺されるらしいです(笑

例えば、上司がバカだと、天才の部下は干されたり、左遷されたりして、バカな部下の方が可愛がられて出世するのはよくあることです。

共産主義なんかだと、上司より優秀だったら、それだけで刑務所に入れられるおそれすらあります。ジャックマーなんかも何も悪いことをしていないのに、財産を没収されて刑務所に入れられそうな状況です。

モーツァルトも天才過ぎて殺されたらしいですし。天才が天才の才能を伸ばし続けて幸せな生涯を送れるとは限らない気がします。イチロー選手などは例外でしょう。むしろ、天才はその世界からは異端児されてつまはじきにされて、自分なりの流派を作るしかなくなるような気もします。

例えば、極真空手の大山倍達は強すぎて日本空手道連盟から脱退して、自分で国際空手道連盟を作りました。強すぎて、既存の勢力にとっては都合が悪かったんでしょうね。相撲の貴乃花なんかもその部類なのかも知れません。正論すぎて追い出された、という。政治家みたいに清濁併せ呑む面も必要なのでしょう。

会社でも毛並みがよくて、才能も抜群で、という人材が子会社の社長に飛ばされる、ということをよく聞きます。官僚でも官邸に逆らったらどんなに優秀でも左遷されてしまいます。

ということで天才ということを前面に出すのも自分をリスクにさらすおそれがあります。私はこれに気づくのが遅かったため、悔しい思いを何度もしました。

私らしさのもう一つの面は、超能力が好き、ジョゼフマーフィーの潜在意識の研究をもう40年位やっているところでしょうか。

ただ、これには、やはり問題があって、潜在意識を知っているために、ポジティブすぎると、会社で、あいつは大ぼら吹きだ、とか言われてしまいます。そして、あまりにぶっ飛んだテーマをやろうとすると、アイツにそんな大それたことができるのか?という偉い人が出てきて、止めとけ、と妨害されたりします。

それを説得するには、実績がないといけないのですが、無い場合は、いいテーマを提案しても上司に潰されるか、上司が可愛がっている部下にそのテーマをやらせたりします。そうなるとせっかくいい研究開発テーマを考えてもライバルの成功を助けることになり、自分にとっては不利になってしまいます。

また、いいデータを出しすぎると、大学教授などから、手柄は全部オレに寄こせ、といわれることもよくありました。オレの人生は一体何なんだ?みたいな悲惨な目に何度も逢いました。

そういう不合理なところが嫌で弁理士試験を受けることにしたのですが、受験を始めた頃は、弁理士になって独立すれば平均年収2000万円と言われていました。しかし、それから5年位かけて受かった頃から弁理士合格者が激増して、弁理士数が以前の3倍位になりました。

弁理士数は増えたのですが、特許出願件数は減りました。一番多いときは年間42万件くらいの特許出願があったのですが、私が受かった頃には減り続けていて、年間28万件くらいまで減りました。

すると単純に年収を計算してみると、
2000÷3×28/42=444.44・・・

なんと、日本人の平均年収に近いレベルになってしまいます。以前は年収2000万円だったものが、今では444万円。

会社にいた頃は大台かそれに近い年収(1億円じゃないよ)だったのですが、これでは何のために弁理士になったのかわからないですね。さらに、独立したのが2007年でしたから、翌年にはリーマンショック、2011年には東日本大震災をダブルパンチで弁理士業界も大不況になっていました。

まあ、お金だけが目的で弁理士になったわけでもないですし、弁理士だったから大学教授にもなれたし、記者会見に出たり、内閣府の委員にもなれたので名誉や地位的にはそれなりに満足していますが。

ということで、肩書ほどには成功している実感は全くないです。

そうそう、他に私らしいとすれば、研究することですね。研究大好き人間です。以前、バイオテクノロジーの研究をやっていた頃は、一時つくばの農水省の研究所に派遣されていたのですが、研究所に1週間泊まり込みで実験したりもしていました。

そのくらい徹底してやると、研究も楽しくなります。奈良先端科学技術大学院大学でもそういう文化があり、1週間研究室に泊まり込みで研究するとメチャメチャ賞賛されるというか、それが理想、と研究員皆が思っているような研究室もありました。この価値観にはとても共感できます。

そういう研究の雰囲気が私はとても好きです。なので、理想は研究の世界で成功して、研究を続けられれば良かったのですが、研究の世界も上にも書いたように、魑魅魍魎もいる世界で、決して純粋に学問研究する人だけではありません。

小保方晴子みたいな、捏造しまくってウソの論文を書いて出世する研究者(小保方は見つかってしまいましたが)や政治力メインみたいな研究者もいるわけです。

教授や准教授からめっちゃいじめられる学生がいたりするのは日常茶飯事です。教授の側としては、なつく子、なつかない子、と分類している人もいました。まぁ、人間関係ですからどうしてもそうなるのは止むを得ない面もありますが。

もちろん、そうでない暖かい研究室や立派な教授もたくさんいますが、やり手の教授の中には、一説には研究員の彼女を差し出せ、みたいな人もいたという噂もあったりします。

アメリカ大統領もよく女性から訴えられていますが、成功者の考えることは皆同じなんでしょうか・・・

ここまで赤裸々に書いていいのか?という気もしますが、自分らしさという面では、自分をさらけ出すのもいいのでは?と思い、思いつくままに書いてみました。次男なので兄を超えてはいけない、という時期が長かったためか、自虐的な部分も多いですね。

最後までお読みくださりありがとうございます。ここまで読まれた方にはいいことが起こるように、宇宙エネルギー(念)を込めておきます(私はキリストのエネルギーというのを習っていて放射できます)。

直接このエネルギーを浴びてみたい方はコメントでご連絡下さい。5人位までであれば無料でお送りします。

最後に怪しさ満載ですが、それも含めて私らしさ、ということで・・・



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