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ケニアの食卓 人気の和食と不思議な和食

はじめに

30年近く、アジアとアフリカを舞台に、国際協力という仕事をしていましたが、最後は、去年まで3年間赴任したケニアでした。ケニアには以前にも3年間赴任したことがあり、通算6年間、母国日本以外で最も長く滞在した国です。そのため、思い出が沢山あり、その中には毎日のことである食の思い出も大きな部分を占めています。そして、近年はスマホの発達で、いつもカメラを持ち歩いている状態なので、食べることが好きな私は、ほぼ毎食を撮影しています。そこで、3年間で撮り溜めたケニアの食卓を紹介したいと思います。

ナイロビのレストラン事情

今や、サハラ以南アフリカで一番進んだ国は、南アフリカに譲った感がありますが、それでも、やはりアフリカの玄関口として、ケニアの首都ナイロビは機能しています。そんなナイロビには、日本食を含めた様々なレストランがあり、世界中の料理が楽しめます。20年前、ナイロビに住んでいたときにも和食レストランはありましたが、お客さんは、日本人、欧米系、インド系の人々ばかりでした。でも、今は生粋のケニア人も和食を楽しむ光景が普通に見られます。今世紀になってから、ケニア人の所得水準向上と、それに伴う食文化の広がりが実感されます。ちなみに、和食以外では、中華、タイ、韓国、インド、ブラジル、フレンチ、イタリアンなど、日本でもお馴染みの各国料理が一通りあります。また、日本では珍しいエチオピア料理店は、近隣国ということもあり、東京よりも多くの店舗がナイロビにはあります。

鶏の照焼きと焼きうどん

ある日、所用があってナイロビの中心街にゆくと「Teriyaki Japan」と書いた派手な看板を見つけました。昼食時間も近かったので入ってみると、広島のお好み焼き店のようにオープンキッチンに大きな鉄板があり、スタッフが調理をしている様子が見えました。刻んだ野菜と鶏肉を鉄板の上で焼いて、それから太い麺類も加えて、仕上げていました。席について注文をすると、ケニアのレストランとしては、かなり手早く出てきた料理は焼きうどんです。味は甘辛い照焼き風です。その他、鶏の照焼きと野菜炒めにご飯を添えた「Bento」もありました。それらを店舗で食べるときは皿に盛ってくれますが、テイクアウト用の紙製弁当箱もあります。店で、甘辛い照焼き風の味付けの焼きうどんを食べながら、ケニアも変わったなと感慨深いものがありました。なぜかというと、20年前、和風に甘辛く味付けした料理は、ケニア人には不評だったからです。

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テリヤキ・ジャパン

店の名前から怪しい印象を受けましたが、後で調べてみると、元々、日本の会社が始めたと分かりました。今、全国展開している丸亀製麺の親会社であるトリドールが出資して、日本人スタッフも送って、始めたそうです。開店当時は大繁盛で行列もできたそうです。鶏肉と野菜がたっぷり使われて、値段は日本円で一食600円程度なので、ケニアの物価水準では高いものの、他の外国料理と比べるとかなりお買い得感はあります。それもあっての人気でしょうが、それでも、甘辛い照焼き味をケニア人が喜んで食べる様子には時代を感じます。ちなみに、現在、トリドールはテリヤキ・ジャパンを手放して、完全にケニアの会社になったそうです。でも、照焼きと焼きうどんの美味しさは変わっていません。また、写真の店舗はナイロビ中心部の一号店ではなく、ナイロビの北東にあるティカハイウェイ店です。

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空港のお洒落なカフェの不思議な和食

ナイロビのジョモケニアッタ国際空港には世界中から多くの飛行機が発着しますが、そこにある一番大きなカフェには洋食やケニア料理だけではなく、和食、中華、韓国料理、インド料理などもあります。その中には、「Tenpra Udon」という料理の名前も並んでいます。一度、それを注文したところ、下の写真のような料理が出てきました。どう見ても、日本人にとっては「エビ炒飯」です。どうして、天ぷらうどんがエビ炒飯になったかを想像してみました。まず、海老に衣をつけるのは面倒なので省かれたのでしょう。そして、うどんは、テリヤキジャパンを参考に焼きうどんになったのでしょう。最後に、うどんの麺の入手が困難になると、ご飯で代用して、エビ炒飯の出来上がりです。ちなみに、店員にはスマホでうどんの写真を見せて説明しました。その後、本当にうどんが出てくるようになったかは、確認はしていません。

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まとめ

1990年代には、ナイロビでさえ、ケニアの人が日本食を食べに来る光景は想像もできませんでした。20年も経つと時代も世の中も変わるもので、それは進歩がゆっくりに感じられるアフリカも例外ではありません。昔は森だったところも切り開かれ、ナイロビの街はどんどん郊外へと広がっています。そして、ナイロビの街には人も車も随分と増えました。90年代の緑が多く、もっとのんびりしていたナイロビに郷愁のようなものを感じることもありますが、人々の生活が豊になって、都市が発展することは喜ぶべきです。それにつれて、人々の生活も変わり、ケニアの人も和食を楽しむようになったばかりではなく、すでにケニア風の和食まで現れるようになりました。日々の食事を通じて、こんな時代の変化を感じとれるのは面白いことです。

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