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ゴッホ展と受胎告知

夜に書いたラブレターや手紙は、どうして次の日の朝に見ると恥ずかしくなるのだろう。
だから一番最近の大切な人へ宛てた手紙は朝に書いた。それでもどうも恥ずかしいものだ。何かを振り返る行為自体そういうものなのかもしれない。

神田で用を済ませて行きそびれていたゴッホ展に向かった。上野はそう遠くない。
上野駅に着くと、いつもの混み具合だ。どうせパンダだろ?そう思い上野の森美術館へ向かう。
駅を出て上野の森さくらテラスという建物を上りエスカレーターに乗ると右手に美術館が見えてくる。一人分の幅しかないエスカレーターに歩くことを諦めさせられた僕は、少しずつ見えてくる人の列に驚いた。ディズニーなのかというくらいの長い列。その列はフォークダンスでもするのかというくらいの植え込みを囲む大きな円になりかけていた。130分待ち。そう書かれた看板に嫌気が差してはいたけれど取り敢えずチケット売り場に行く。列に諦めたのだろう1組海外旅行であろうカップルを除いて誰もチケットを購入しようとする人はいない。僕は窓口に向かった。
「ちょっと!お兄さん」と肩を叩かれた。振り返るとスーツケースを持った小柄な女性がいた。〝おばあちゃん〟その言葉がシックリくるような穏やかそうにニコニコとしてる人だった。
「はい?」僕は返事をした。
「あのねぇ連休だから、娘と孫に会いに来たの。あっあなた並ぶのよね時間大丈夫?」 話しかけてきたのはおばあちゃんでしょと心の中で苦笑いをしたが、130分待ちなんて何分ずれても大して気にならない。
「全然大丈夫ですよ。それでどうされたんですか?」そう尋ねた。
「私前売りのチケットあるの。ゴッホの絵を観るのも人生これが最後だなと思って上京するついでに買ったのね。これあなたにあげる。新幹線時間がないのよ。」
おばあちゃんはニコニコと言った。
「申し訳ないです。並ぶのだったら僕代わりに並びますよ。お茶でもしてて下さい。」
とっさに出た自分の言葉が会話とズレているのは分かっていたが何故かそう言ってしまった。
「あなた変な人ね、ありがとう。でも本当に時間がないの、もう一回ゴッホが日本に来るまで長生きすれば良いのよ」
そう言って僕の手を取ってチケットを握らせて去っていった。 「ありがとうございます」僕はおばちゃんの背中にそう言った。その時、僕はあることを思い出していた。 


〝2007年4月、僕は上野にある国立博物館のチケット売り場の前で、使い古したポーターのマジックテープに毛玉のついた財布を眺めていた。その近くには60分待ちの看板が目に見えた。

当時、僕は上京し大学に入学したての一回生で文学部で博物館学を学び始めたばかりだった。
なんでも良いから実際に博物館に行ってレポートを提出すること、そんな課題が出ていた。当時レオナルドダヴィンチの「受胎告知」という作品が国立博物館に日本初公開で来ていたのでソレをレポートに書くことにしていた。

キャッシュカードを家に忘れたと気づいた僕は1500円しかない財布を覗き、窓口の入館料1000円という文字に溜息をこぼした。残り500円じゃ帰りの電車代もギリギリだ。

再び財布の中を覗きティシュに雑に包まれた4つ折りの1万円を確認した。
祖父が「駄賃だ」と上京するときにくれたもので、その時はどうしても僕には簡単に使うことはできなかった。
仕方なく出直そうと帰ろうとした時だった。 「ねぇチケットもってるの?おばちゃんね60分も並べないの。まだ買ってなかったらコレで行っておいで」

とても素朴でキレイな女性だったのに自分のことをおばちゃんと呼ぶ姿がとても印象的だった。 「いやでも」僕は上手く返事が出来なかった。 「これねこの前もらったタダ券だからお金は気にしなくて良いの!おばちゃん飛行機の時間あるし、若いうちに観てきなさいキレイな絵だからね」
そう言って僕の手を取りチケットを力強く握らせた。 「ありがとうございます」僕は嬉しかったのだけれど、それを言葉にも表情にも乗せられてはいない気がした。 「困ってたらね、人の好意に甘えていいの」
そういって葉桜が目立つ上野公園を駅の方に走って行った。手に握ったチケットを開いてみると今日の日付の印字と当日券という文字がハッキリと見えた。〟 


10年以上前のことだが今も鮮明に思い出せるようだ。僕はスーツケースを引くおばあちゃんを見送りながら思った。
そうして不意に窓口を見ると海外旅行客であろうカップルがまだ話していた。日本語は話せるらしい。クレジットカードが使えず現金が足りないから一枚しか購入できないといった内容だった。

僕は窓口で大人一枚のチケットを購入して、カップルに渡した。 「おぉーいいんですか?ありがとうございます。」カップルは驚きながら嬉しそうに言った。
「いえいえ日本を楽しんで下さい」
僕はそう言ってカップルと別れた。

想像だが綺麗な女性は多分、観た後にボロボロの財布を覗く僕にチケットを買ってくれたのだと思う。
僕は今日それを返えせた気がした。

そして今度は、おばあちゃんのチケットをいつか返そうと思いながらゴッホ展の長い列に僕は並んだ。

この文章もいつか読み返したら恥ずかしくなるのだろうか。いつか書いたラブレターの様に。


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