積読の地層

積読を自分で制御できないと、物理的な地層になってしまう、という話で。
子供の頃から、なぜか本に溢れた住環境で育ったことが主な要因だと信じているのだが、居住空間のうち、本が本棚ではない区画に散らばっていることに対して一切の拒否感がない。

テレビは処分したが、同じ時に処分しそびれたテレビ台の上にどんどん平積みにしていったり、本棚の手前の床にどんどん積んでいっちゃうから、一番下の段に入っている大きい本とかは取り出せなくなったり。

読書に割く時間が、動画のサブスクの視聴に追われているうちに、どんどん自分の中での娯楽の優先順位の下に追いやられていくにつれて、本の購入頻度も減ってもよさそうなのだが、どうもそうはならない。

なぜかといえば、大型書店に赴き、店内をブラつきながら、財布と相談しながら書籍を選び取る、という一連の行為自体が、一つの娯楽になっているからである。

もちろん電子書籍を買うこともあるんだけど、私は、圧倒的に本屋で本を選ぶという行為の楽しさに、抗いがたい魅力を感じている人間で、読書はその次、というところがあるようだ、というのが三十路を迎えて自覚的になったことの一つである。

それに気づいたからには、心を入れ替えて部屋の中に本の地層を積み重ねるだけではなく、きちんと書籍みんなを紐解いて、頭の中の知層も、ぜひ積み重ねていきたいものである。

来年から本気出す。


必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。