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『歌わないキビタキ』~人にも期待しないこと

誰かを好ましく思うようになると、
ほぼ同時に「期待」が生まれているのかもしれません。
ある物事に対する反応が自分にとって好ましいものであってほしい、
あの人ならきっと…という勝手な「期待」。

「人に期待しないこと」
この言葉を何度目にしたことか。
ほとんどわかってなかった気がします。
出来なかったから。
好感と期待は切り離すのが難しい。

ならば、そもそも「その人のすべて丸ごと好き!」なわけはないのだし、「この一面とあの一面が好き」と意識してみよう。
勝手に期待を寄せて、無駄にがっかりするとかないように。
と、考えさせられたのがこの本です。

梨木香歩さんの物語やエッセイが大好きです。
物語はもちろんのこと、エッセイも書籍化されたものは次々に読んできました。
この『歌わないキビタキ』は2020年~23年にかけて新聞や雑誌に連載されたコラムをまとめた著者の最新の単行本です。

梨木さんの文章を読む度に、感性の根っこの部分で通じるものがあると感じてきました。
私にとっては馴染みの遠い趣味嗜好のものが綴られていても違和感が湧いてこなかったくらいに。
ところが、今回初めて「おや?」と引っ掛かることがあったのです。
「第二章 鉄人の日々」に綴られていた「牛乳問題」。
よく聞くところの「牛乳は身体に良いのか悪いのか問題」です。

子どもの頃は普通に飲んでいた牛乳だったけれど、
良くなさそうだとの情報に接することも多く遠ざけたり、
それなりの年齢になって骨折をしたことで摂取すべきだったのでは?と思ったり、
やはりいろいろと身体に悪そうだ、とかとか結論は出ずじまい…

ダラダラと(失礼!)悩む梨木さんが私には意外でした。
というのも、私は牛乳が人間にとって必要な飲み物とは思っていないからです。
自分が乳製品を取らないというわけではなく、10年ほど前から何となく好きでなくなって基本飲みません。
匂いが嫌になったのでした。
代わりに豆乳を使っていますが、たまに切らしたら仕方なく牛乳を使うこともあります。
家族がよく飲むので牛乳は常備しているのです。
大好きだったヨーグルトも、数年前から風味が嫌になり基本食べません。
夏場は豆乳ヨーグルトを食べたりしますが、今の時期はそれも食べず…わかったのは、ヨーグルトも牛乳もお通じに関係ないなあということでした。
もちろん今の私の場合は、ということで、昔は必要だったのかもしれませんが。
別にお腹が弱くなったわけではないので、食生活はもちろんのこと様々な変化が自覚する以上にあって、身体も変化したのかなあと思います。
骨粗鬆症の問題は深刻ですが、周りを見ていて感じるのは牛乳程度で何とかなるもの?ということなんです。
なんか…「カルシウムの摂取には牛乳!」の刷り込みに振り回されてる人が多いだけの気もします。
もちろん、飲みたかったら飲めばいいでしょうけど、日本政府って酪農家さんたちも見捨ててますよね?(一般国民自体をですけど)

私はいつのまにか自分にとって好ましい梨木さんのイメージを創ってしまっていたようです。
以下の一文にちょっとした衝撃を受けてしまったことで気が付きました。

私の人生で皮肉にもこんなにもテレビをつけていた時期はなかったような気がする。 (第二章 二〇二一年四月~八月 ・ 半返し縫いの日々)

社会情勢、コロナ情報を得るためにということでした。
私は逆だったんです。
コロナ騒動一年目の四月、意識的にテレビから離れようと思いましたから。
有害としか思えなかったのです。
あの恐怖の煽りには違和感しかありませんでした。
今も、テレビのニュース、情報番組、バラエティ番組を自分から観ることはありません。
家族が観ているものが目に入ることはありますが、ニュース報道であってもまともなものに感じられなくて付き合いきれないです。

しかし、大切に思う感性のある部分で「違い」に気が付いてしまった私は「衝撃を受けてしまった」わけですが、本を読み終わった頃には逆にほっとするものがありました。
梨木香歩さんの本を読み始めたのはちょうど一年前のこと。
この一年、彼女の世界に入り浸ることが多かったのです。
何しろ「感性の根っこの部分で通じるものがある」のですから心地良いんです。
滅多にない貴重な出会いですし。

何故、「人に期待しないこと」を心掛けた方が良いのか?

「期待」は「依存」でもあり、自分の軸からズレてしまうからなのだと思います。
だから、「勝手に期待を寄せて、無駄にがっかりする」ことになってしまう。
その人と自分は違う。
違いに、気づくことができて良かったです。


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