BLM・香港民主化運動あるいは安倍政権・lo-fi hiphop〜日刊弁慶2020.9.5

ローファイ・ヒップホップ第二弾です。一応断っておきますが、lo-fiディスじゃないですよ笑。ある意味お世話になっているし、多少恩もあります。なにせ、おかげさまでビート・ミュージックにスポット当たるようになったし。まあ別にビート・ミュージックをやりたいってわけでもないんですけれども。世の中大雑把ですので、僕はヒップホップの人だしビートの人だし、パーハップス、ローファイの人でしょうよ。

BLM・香港民主化運動をローファイの横に並べるのは結構刺激的だと自負しますが、大したことじゃないです。

BLMって要は、黒人が白人ナショナリズムに抑圧されてるのに怒っているわけですよ。アフロ・アメリカンは歴史的にも虐げられてきたし、制度としても立場が悪いです。自由と平等の国でそれはいかんでしょう。まだ奴隷制抜けきってないじゃん。いい加減、黒人を解放してくれ。(たぶん)そういう理念のムーブです。

香港民主化運動は、中国の圧政から香港を守って、民主主義を守ろうという大々的なデモ運動です。中国共産党に自由を抑圧される筋合いはない。崇高な自由を守ろう。(ベラルーシでもおおよそ同じことが起こっているんじゃないでしょうか?不勉強でよく知らないんですけれども。)

中学生でもわかりそうな展開になりますが、以上2つの怒りは抑圧に向けられています。抑圧されている。ふざけんな。解放しろ。

さて、長く続いた安倍政権は、金銭的に怪しいところこそあれ、我々を抑圧するような政策は取らなかった。コロナ対策にしたって「自粛要請」ですから、「家出るんじゃねえ」などとは言わず、「外出を控えてくれるといいなあと思ってる、判断は任せるけどよろしく頼むよ」でしょ。我々は抑圧されることなく、自律心で以て自らを抑圧したのです。(そしてみんな自律神経をやられた)

この時に我々が唱えたのは、「政府、ちゃんとしてくれ、ちゃんと外出制限とかやってくれ」という、抑圧への意思でした。世界でも稀に見るドM。もはや解放されてるほうが不安になっちゃってる。で、ドMですから、怒りの熱量もたいしたことないわけです。激しく動き回るドM。原理的に矛盾ですよね。(もしそういうAVがあったらこっそり教えてね)

「誰でも世界中に公開できる」というインターネットの特性と、「誰でも手軽に作れる」というサンプリング文化を両親に持つのが、ローファイ・ヒップホップです。このプロセスの中には抑圧が全く入り込んでいない。だから(マーク・フィッシャーの用語を援用しますが)「鬱病的快楽主義」的な音楽になるのです。抑圧がなくなるとどんなことをしても空を切ってしまい、手応えがない。そういう状態のことを正に鬱と呼ぶのでしょう。

さらに、文化的な要因を述べるとすれば、多様性の時代です。個性は誇るべきものになった。出る杭も打たれないようになった。異端など最早存在せず、法の範囲内では抑圧されることはない。そんな状況に誰が怒れますか?近代が掲げたプロジェクトは着実に完成に近づいてきているし、我々はそれが紛れもない正義だと信じている。これでみんな幸せになれるに違いない。そうでしょ?

解放されすぎて鬱になったのがローファイ・ヒップホップです。我が国日本では特に、制度的な差別は顕在化しない。りゅうちぇるは両手を広げて迎え入れられる(ディスってないです)。ローファイの始祖として挙げられるnujabesが日本人だというのは、宿命的でさえある。

鬱病的快楽には絶頂がありません。半永久的にじらされるだけです。ストレスでしかありません。イライラする。そんなことをしていたら機能不全になります。そろそろちゃんと射精しましょう。オーガズムを迎えましょう。そして、日が沈んだらチャーリー・パーカーを聴きましょう。

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