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【極私的音楽雑記】#2 テレビ主題歌とキャンディーズ(1976年①)

1976年に中学生になった。
「およげたいやきくん」や「東村山音頭」が流行し、ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューした年だ。

生まれてから大学生までは比較的大きな地方の都市で過ごした。
地域毎、年代毎に事情が違うだろうから、あくまでも僕の周辺についての記憶だ。

毎日テレビを見ていた。

小学生のころから娯楽の中心はテレビだった。
中学生になっても、とにかく毎日見ていた。
月曜10時は「夜ヒット」、水曜は「欽どこ」、金曜日は「カックラキン」と「赤い衝撃」。土曜8時はドリフだし、日曜7時半は「母をたずねて三千里」、20時からは「俺たちの旅」と際限がなかった。

それに加え、この頃、夕方帯も再放送時間帯として「巨人の星」や「トムとジェリー」などのアニメや「宇宙大戦争」や「奥様は魔女」などの外国ドラマ作品も何度となく放送されていた。映像や音楽がすり込まれていった。

テレビ中心の生活をしているので歌謡曲の新曲は自然と覚えるし、アニメやドラマの主題歌は当たり前に口ずさんだ。
この頃の曲は今もしっかり頭に残っている。

テレビの中のキャンディーズ

そんな頃の音楽で自分の中でのエバーグリーンの一つがキャンディーズだ。
キャンディーズの曲はその時に聞いた印象と感覚もしっかり記憶に残っている。

その頃はキャンディーズのファンだという認識はなかったが、今思えばかなり好感をいただいていた。

ドリフの全員集合は欠かさずみていた。キャンディーズや秀樹がコントや体操をし、生歌をうたっていた。
「みごろ、たべごろ、笑いごろ」も始まった。電線音頭やしらけ鳥が流行った。キャンディーズのコントは面白かった。

その後、1977年の解散宣言以降に人気が上昇していった記憶がある。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドゥ・トロワ」「わな」、そして最後の「微笑みがえし」まで。
1978年に始まったザ・ベストテンで「微笑みがえし」は1位になった。

キャンディーズでしか出せない弾けるような歌声やコーラスが魅力的だった。テレビ番組でみた映像の記憶が今もしっかり残っている。

1976年にピンクレディーもデビューし、怒涛のようにヒット曲を連発していった。インパクトがありキャッチーだった。中学生の中では圧倒的にピンクレディー人気だった。

過去を振り返る番組で人気を二分していたと言われる事があるが、周りはそんな感じはなかった。実際、当時のオリコンをみてもキャンディーズは最後の曲しか1位をとってない。

キャンディーズ好きを公言している子も少なかった。中2で一緒のクラスになった子に、キャンディーズ好きなの?だったら貸してあげるよと、キャンディーズのライブレコードを借りた記憶がある。

当時からコアファンは多かったのだと思う。そしてキャンディーズは時代の経過とともに評価が高くなっていった印象だ。


印象深い、この頃のテレビ主題歌

「俺たちの旅」主題歌
中学の頃、最も人生観に影響を受けたドラマ。
描かれている東京の街へ行きたいと思った。

「母をたずねて三千里」のOPテーマ「草原のマルコ」
今、聴きなおすと心に染みて泣きそう。

「宇宙戦艦ヤマト」の挿入曲「美しい大海を渡る」
何もかも、みな懐かしい。



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