メガネにおける一考察


メガネには「学術メガネ」と「芸術メガネ」が存在し、前者はメガネをあくまでも視力が悪く単純に矯正メインとしての実用品ととらえており、後者は矯正しながらも自己主張の一種というかアイデンティティとしての装飾品の一部ととらえているかに分類されるのではないかという説を、私はあえて唱えてみたい。

学術メガネは理系文系問わず、先生と呼ばれる教育者や研究者や文学者が多く、芸術メガネはいわゆるクリエイターと呼ばれる人たちやミュージシャンが多いが、学術メガネの職業に就いていながら芸術メガネをしているこだわり派(精神科医の名越康文先生など)もいるし、逆もまた然り(OKAMOTO'Sのハマ・オカモトさんなど)で両刀派(坂本龍一さんやいとうせいこうさん)も存在する。一般人は学術メガネの方が多めの傾向。後々有名人サンプルを分類をしていくとして。

結局は個人の好みではあるが、どんなメガネでもとにかく私は大好きなことは間違いない。(きっぱり)

学術メガネからは「あくまでも生活のため」「生活を邪魔しない」「オシャレに縁遠い」「メガネを選ぶ暇があったら勉強や研究に没頭したい」など、メガネに対してそっけない態度を感じることもありながら、銀縁や縁なしたまに黒縁で「The 知性」を全面に押し出してくる。やだ、まぶしいぃ!(どうでもいいけど、それに白衣が加わったら無敵。前に阿佐ヶ谷の薬局でド金髪ショート+白衣の薬剤師さんに調剤してもらったけど、待ってる時間至福すぎた)
あと、どこにでもにあるメガネチェーン店で買ってることが多そうで、理系に限ってはマイドライバーで修理もしてそう。普通のドライバーじゃなくて極細のキットで。

対して芸術メガネは「どうせするならとことんこだわりたい」「他人と同じはイヤ」で「これは自分しか似合わない」という自信も持っていて、多少奇抜ではあってもそれに合わせることができる個性を持っている人がほとんどで、流行している髪型やファッションだったりオリジナリティ超強火。
うっかりこだわりを聞くと、周囲もやけどする危険性大。でも妥協をしないから、なんだかんだでその人の完璧な世界観の上にメガネも色を添えて鎮座している感じ。こういう人が会社のワンフロアに一人いるだけで、会社に行くのが楽しみになると思うけど、たくさんいるとひとつひとつ真剣に受け止めすぎて胸焼け必至の予感大。

いわゆるギョーカイには「こんなメガネ誰がすんのよ!」って思わせるアラン・ミクリだって、似合う似合わないを気にせずに平気でかけちゃう強心臓おっさんもいるんだぜ! ……ってことで芸術メガネの生存個体数はそんなには多くはない。当然お高いし、壊れても応急処置がきかなそうなデメリットもあるし、普段の反動で家ではチタンなんかの軽いメガネをかけてそうな気もする。

ところで昨年終わってしまったNHK「いだてん」が時代背景で小生的丸メガネのオンパレードで、毎週毎週油断しきった日曜の夜に、旬の俳優さんたち(やや枯れ多め)が丸メガネで武装して次々と襲いかかってきた。オリンピックよりも「丸メガネの祭典(feat.麻生久美子&二階堂トクヨ)」でけしからんと思ったのは私だけでしょうか。高度成長期のおっさんメガネよりも丸めがねが好きなんだよなぁ。

ある時「あ、私……これを見るために……受信料払ってる……(昇天寸前)」って気づかされちまいました。いやいや、これはもうおつりがくるんじゃないかと思っててよ。でもあの時代に丸メガネが一番似合っててステキだと思ったのはやっぱり昭和天皇がぶっちぎりで。……って話がそれるのは私が悪いんじゃなくて、そうさせるメガネが悪いに決まってる。

結局、学術メガネも芸術メガネもひとりひとりが自分にぴったりなシンデレラメガネを見つけることができたら、メガネ人もメガネ好きもメガネ自体もみんな幸せになるし、それをかけることでメガネもその人の人生も輝くものになるんじゃないかと心の底から願わずにいられない。

「少年よ、メガネをかけろ!」
「とにかくかけてかけてかけまくれ!」
「ついでにコンタクト爆発しろ!」と切に願う。

そのメガネはあなたとともに生きていくメガネなのだから。
明日はコンタクトじゃなくて、ぜひメガネで外出してほしい。

以上、メガネ好きを完全に逸脱しつつあるメガネ中毒の私からのお願いである。


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