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放射線治療も手術も出来ず、ペインケアの毎日、ボルタレンを服用、座薬、点滴。

温熱療法、漢方、全てのツテを辿って出来ることは全部した。
状態が良い時は外出許可で病院に迎えに行き、リビングにこたつを出し、舞子と真央子、トン子の娘、孫と会話。

リビングに排水管が通っている、水道も妹達の居住区へと繋がっているから、母用のトイレを新設しようと見積もりをした。

トイレまでの廊下5mが母にはロングジャーニーだ。

「だめだ、そんな事をする必要はない」
冷えちゃうからトイレに薄いオイルヒーターを上手に壁の凹みに埋め込んだ、座っている間は暖かい。
「邪魔だ」
母を気遣い様子を見に行く
「おまえの足音が煩い」

親父はことごとく足を引っ張った。

母が病院に居る日、仕事をしていたら、母から電話が掛かってきた、泣いている、ノン子が職場の昼休み、病院に寄ったらしい。
「あんた、バカが千尋ちゃんとノン子を喧嘩させようとけしかけているから、気を付けなさい、ノン子が千尋ちゃんの悪口を言ってきた。 じじいは自分のメンツ、味方を得るのに家族を揉めさせる」

受話器を置いて僕は嫌だな止めたいなの部屋へ行った。

「お父さん、お母さんから電話がありましたよ」
親父は僕の雰囲気だけで怯えている、必死に虚勢で睨みつけてくる。
「病人に心配を掛けると負担が増えますから、やめましょう」
「何もしていないな」  しれっと言う文字が浮かんだ気がした(笑)
「ノン子に千尋の悪口を吹き込んで、けしかけたよね、〇〇とか☓△とか」
「知らん」
「お母さんが、具体的に言ってますが? 泣いてましたよ」
「入院して、頭がおかしくなったな」
したり顔を掴んで紫檀のデスクに叩きつける映像が頭に浮かんだ。
僕はふぅっと息を吐いた。

「病人を泣かすとか、おかしいのは おまえだよ」
「親におまえとは何だ おかしいとは何だ」
「相手がなんだろうと、おかしいやつはおかしい、どうして足を引っ張る事ばかりする、そんなに殺したいか」
「おまえが孫の面倒を見させて、病気にしたんだ、仕事の出来ないおまえと仕事をして疲れたから病気になったんだ」
「糞野郎、おふくろが逝ったら、てめえも一緒に墓に詰め込んでやるからな、なんなら生きたまま入れてやらァ、おい、ご自慢の墓だろう、先祖の骨をどかせば、おまえくらい入れるさ、先祖の骨とおふくろの骨、寂しくないだろう」   さすがに怒鳴っていた。 北豊島郡王子村のカッペが新宿生まれに口で勝とうなんざ100年早い。

母は一進一退、僕は伊勢丹のデパ地下に毎日通った。
一人用の土鍋に昆布と、かつをで摂った出汁、酒をだばだば、ネギと銀杏、松茸で粥を作り、一度蓋を開けて、鯛の刺身を乗せて、蓋をした。

「ごめんな、お母さんみたいに土瓶蒸しが良かったかしらん」
「おいしいね、温まる」
それでも木のさじで3口が精一杯、鯛の半生を咀嚼している。

「明日は、ダダメ(鱈の白子)にしようか」
祖父、祖母の家で喰ったものを思い出し、レシピを検索する。

でも栄養は、ほとんど点滴から、刺し直す時は千尋が助けてくれた。 注射だけは、妙に上手い、人の痛みに斟酌しないから上手なのだと納得した。


冬に成っていた。
親父がメルセデスで、数度目の帰宅を迎えに行き、母の女学校時代の友人、大学時代の友人、僕の従姉妹が毎日のように訪ねてきて相手をしてくれた。

母はモヘアのボネット、ベストを来て、座椅子に座り楽しそうに、昔話を、おしゃべりしている。

誰も居ない時は、ディスクマンで小説の朗読を聞いている。

左腕には点滴がささり、サイドに点滴スタンド。

あらゆる治療法を探し提案したけれど、拒否する、本人が嫌な事はすまいよ、無理強いはしなかった。

「お母さん、悪かったね」
「何?」
「癌だって知りたくなかった?」
「知りたかったよ、どうした?」
「抜け駆けしたって、惨子に喧嘩売られた」
「ほっときなさい、あれはバカだから、自分の病気も解らなきゃ、対処も出来ないじゃない、なんとなく解っていたし」

母はダダメの入った鍋をゆずポン酢で少しだけ食べた。
「僕に気を使って、食べるんだぜ、食うのが何よりの治療さ」
「あちこち痛いのに、まだあんたに気を使うの?」
「当たり前じゃん、親が子に気を使わないでどうする」
「あんたなんか産まれた時に新宿駅のコインロッカーにぶっこむんだった」
「残念、当時は、ロッカーなんて無いよ」
「じゃあ、南口の荷物預かりだ」
「預けてどうする、引換券にヒロって書くのか?」

その翌々日、母は父のメルセデスで入院した。
玄関に揃えてやったハッシュパピーの紅い靴がやけに小さかった。

あの病院は改装を終えたばかりで、個室は建材の匂いがした。
舞子と真央子、宮田さんで母を見舞った。
既にボルタレンが効かず、モルヒネを少量ずつ処方されていた、ぼぉっとするらしく、ただ、にこにこと孫を見ているだけだった。
ペーパーシャンプーで舞子と真央子が髪を撫でる。
嬉しそうに僕達を指差し、オーケストラのコンダクターのように手を広げ

「よつたりさま お越し」

昼は親父がアテンドした。
夜は5人兄弟で交代にしたのだが、惨子が全く役に立たない。
ベッド横の簡易ベッドで待機、母のリクエストで用を足すのだが。
「お母さん、昨夜は良く寝ていたよ、朝は私と いぬあっちけーのドラマを観た」 ぬけぬけ♪


「惨子が来ても、寝ていて、声を掛けても起きないの、朝はうとうとしていると、いぬあっちけーのドラマが煩くて寝られない」
惨子を当番から外す算段をした。


「お父さん、会社の通帳を返して下さい」 親父が2階のオフィスに来たから、要求をはっきり言った。
親父は母が入院してから、会社の金庫を開けて業務に使っている3行の通帳を持っていき返さない。 ネットバンキングの無い時代で、海外への決済にも通帳が必要だ。
「俺の会社の通帳だ」
「海外送金が有るんですよ」
「LCじゃないのか」
「1万ポンドちょいですから、送金の方が楽」
「そんな細かい商売をしているのか、お前は無能だ、私の時は一回の商売でその20倍は」
「エニオおじさんに、払わないで贅沢して遊んでたから、稼ぎ頭の商品を高井と一緒に持っていかれたんでしょ」
親父はいやーな顔をした。パスタ料理の名人、エニオおじさんは、北イタリアの人で、世界的な有名人、あるスポーツのゴールドメダリスト。
オリンピックの用品で、当時世界No.1シェアの商品の総代理店輸入元を大手商社系の会社に担当の高井社員と一緒に引き抜かれた。

それから、あれこれ商品を開発はしたものの、客にもマウントを取る商人が伸びるわけがない。

商品が売れるように7度も来日して、日本選手にコーチして、スポーツ人口が増えるように協力してくれたエニオおじさん、僕は大好きで、彼も僕と母を好いてくれた、来日の度、我が家に来て、一緒に料理を作るのが、コーチングの合間、彼の息抜きと楽しみだと言ってくれた、おかげでイタリア料理とワインを覚えたよ(笑)

僕が扱っていた商品は、親父が枝葉と言った家庭用品だけど、大使館の協力も有り、なんとかデパートの口座も取り、それをベースにネット通販を始めたところだった。
ホームページはNETで知り合った、ルナに頼んでいた。 ネット通販の黎明期だったが、そこそこ売上があり。 直販ならば、円高でデパート価格に比して原価率が17%だから、売上高はそれほどではないが、利益は大きい。
「10日に決済ですから、返して下さい」                親父は返事をせずに嫌だな止めたいな部屋に逃げていった。 今、親父がマグに汲んだの僕の珈琲なんだけど(笑)


12月5日 夕方
「惨子、僕が行くよ」
「良いの?」
惨子の表情がぱあっと明るくなった。 なら はなっから当番抜けろよ、今、母の物件マンションに住んでいて、家賃誤魔化してるんだから、どんだけ尽くしても尽くし足りねえべ。
まぁいいや、邪魔だ。

地下鉄で行くと、母は仰向けに寝ていた、呻いている。         親父に弱みを見せると、つけこまれるから、母はずっと病も隠す、怪我も痛いと言わない生活を我慢してきた。
幼い双子の面倒を看ていて、捻挫から軟骨が出て、歩行が困難になって、どんだけ痛くても 痛いを言わなかった人が、今は痛い 痛いと呻いている。
癌の痛みってのは、相当だな。
こんなに痛がっても、僕は代われない、和らげてやれない、薄情ものだ。
「あんた帰りなさいよ、一人で大丈夫だから、帰って舞ちゃんと真央ちゃん看てやりなさい」
呻いていたのが唐突に言いやがった(笑)笑っていやがる

「今日は当番だから、お母さんを看るんだよ」
「帰って仕事しなさいよ」
「明日、戻ったらするってばさ」
母は笑った、ふぅっと目を瞑る。

「お母さん、足が治ってから、海外旅行7度行ったじゃん、どこが楽しかった? ○△さんや□○さんと行ったよね」
大学の友人の名前を聞いて、目を開けて僕を見た。 笑っている。

「ベニス、サンマルコ広場? ロンドン大英博物館? パリ、ルーブル?」
呻くのを止めて聞いている。
「ハワイ?」
うんうんっと頷いた。

楽しい話をするように言ってくれたのはルナ、一緒に仕事をするようになって、何度か電話で母とも話している、性格が似ているらしくて仲が良い。
「ヒロ」
「はい」
「トイレ」

個室にトイレと洗面所は着いている、ベッドから2m
スパゲティシンドロームとオムツは死んでも嫌だと、拒否して、母はトイレに起きる。

2m歩くのに3分 便器のところまで連れて行く
自分で下ろして、座る。

「拭ける?」
「ばかやろう」

それから3分かけてベッドに戻り、また呻き出す。
食事も出なくなり、看護師が定時に点滴の点検に来る。

僕はベッドサイドに置いた、畳んだストレッチャーみたいな簡易ベッドに仰向けに寝て、手を伸ばし、母の手を軽く握っていた。

かさかさでしわしわに成った硬い手、呻く声に震えている。

「トイレ」
起き上がると、しゃっきりしている。

「手伝って」
下着を下げ、座らせた、ぽちょっと音がする、便じゃなくて白い物、ボルタレン、体温が下がって座薬が溶けない。

「あいよ、ごめんな」
家から持ってきた一番柔らかいペーパーで処理をして、下着をあげて、ベッドへ。

PHSを握りしめた、出来れば、まだ使わなくて済みますように。
スマホ以前の携帯は病院内では御法度、PHSなら大丈夫とアドヴァイスをくれたのもルナ。

3回目のトイレをした。 仰向けになったとたん、声が変わった、本当に痛そうに泣き叫ぶ。
モルヒネは15分以上開けてと、医師が言っていた。
7分前に入れていた。

暫し、迷ったけど、ナースコール。
「はい」
「モルヒネの増量をお願いします」

自分が何を言っているか解っていた。
ナースが来て、モルヒネを点滴袋に入れた。

息が静かになる、額をガーゼで拭いた。
手を握ったら、握り返してきた、目に光が有る。
「お母さん」
瞬きをした。
「ねえ、産んでくれて有難う、未熟児でごめんな」
かすかに首を振った
「舞子と真央子、育ててくれて有難う」
僕の左手がバキッと音がするくらい握られた、ふぅっと息をした。
ナースコール
「はい」
「呼吸が停まっています」

当直の女医さんが飛んできた、舞子が診てもらった事の有る小児科の人、看護師が3人。

「痛い、延命はしないでください」
僕は病室を出て、家にPHSを掛けた。スタッフの邪魔にならないように、母の足もとで足の甲をとんとんっと叩いていた。
「今、皆、来るからね」
トン子は杉並だから間に合わないかな

朝4時30分 千尋が7分で飛んできた。
「奴らは?」
「声を掛けたけど、お父さんは着替えを始める、惨子ちゃんはお茶と珈琲を淹れているから置いてきた」
拳銃欲しい(笑)

「ヒロさん、お母さん、可哀想だよ」
皆が来るまでと、延命措置をしている間も、母は痛そう。
「引き止めて、ごめん」
足の甲をとんとんっと叩いた。 オムツ、一度もしないで済んだ(笑)

僕の手のひらを足の裏でぐぅっと押してきた、力が抜ける。
医師が時間と挨拶を読み上げるように言った。

オムツするくらいなら死んでやるって常々言ってたもんね(笑)

それから14分で トン子が飛び込んできた。

親父と惨子ヤンコ、ノン子が着いたのは電話をしてから46分後だった。

「看取りご苦労」
尊大に言う親父は革靴を履き、プレスの効いたズボン、珈琲の匂いとアフターシェーブローションの匂いがしていた。

「ヒロさん、お風呂仕込んであるよ」
千尋が言う。
「あい、じゃあ戻って、学校と保育園な」
帰って仕事しろって おふくろに言われたからな(笑)

甲州街道へ歩く、新宿駅まで出ればと想ったら タクシーが着た、
家まで9分だった。

お邪魔でなければ、サポートをお願いします。 本日はおいでいただき、誠にありがとうございます。