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私なりのプール理論②

今日は刺繍屋をはじめてから初のワークショップでした。
参加者の方が語ってくれる、各々の動物への愛情が、聞いていて楽しい時間だった。動物でもなんでも、愛でたり推したりする存在があるということはすばらしいことだな。
あと、あまり想像していなかったけど、ワークショップの間、みなさんとする雑談が楽しかった。相手を知るということと同時に、自分を開いていくということをする。かつ、そのバランスを取ることがなかなかに楽しくて、ワークショップの機会を増やしていきたいかもしれないと思ってきた。

今日はプール理論の続き。

だいすきなプール理論|べにこ/刺繍屋の頭の中と日常 (note.com)

自分の感情と思考を循環させること、今は得意になってきたけど、子供の頃はとても不得意だったと思う。

もともとの固い気質と負けん気の強さ、両親の望む勤勉さや真面目さも相まって、「枠から外れないこと」や、「人より優れていること」を無意識に重要視しているような子供だったように思う。

特に気になっていたのは、親からの視線。彼らから褒められたいと思っていた。幸か不幸か、勉強は嫌いではなく、小学校、中学校時代はほどほどに良い点数が取れていた。今振り返ればだけど、私は勉強の楽しさや何が好きかを考えて、どういうことを学びたいかを望む前に、「親に喜んでもらうため(怒られないため)に、良い成績を取る」ことが勉強の目的にしてしまっていた。私の気の強さも重なって相乗効果を生み、悪い成績を取ることを自分で自分に許せなくなっていた。

だから、その時から好きで得意だった絵の勉強をしたい気持ちにも蓋をした。日頃から「やりたいことでお金をもらえる人なんて人握りの人だ(そしてそれはあなたではない→これは自分が勝手に変換して付け足した言葉)。」と言われていたので、自分のやりたいことを優先するなんて無謀だと思っていたのだ。今の私の思考だったら、親を説得できていたのかもしれないと思う。実際、中学生の頃山登りをした先での写生大会で山の花を書き、県知事賞なるものを取ったこともあった。それなのに、当時の私は自分を信用できず、高校は進学校の普通科に決めた。

高校では同じような成績の人があつまる。私はそこから思うような成績が取れず、しかも何がしたいかが分からない状態ではあったものの、もうがむしゃらに勉強をすることもできず、学びへの意欲はどんどん失速していった。
大学を決める時も、何を学んで何になりたいかが分からず、三者面談で「文学部なら就職先も幅広いし、文学部にしたら?」と言われるがままに決めた。

親にもっとこうして欲しかったという気持ちはなくはないけれど、彼らが良い成績を取ることだけを求めていたとは思えないし、その事を色濃くインプットしたのは私だ。
対話の機会やスキル、欲しかったな。

学生時代の私には、プールの枠がない状態だったんだろうな。目標がちゃんとある友人たちのことを腐していたかもしれない。プライドが邪魔して、羨ましいということもできなかった。そんな状態なので、「人から頼ってね」と言われても全委ね=相手のプールに飛び込むことをしていたんだと思う。何かうまく行かない状態、しっくりこない状態が続いていた。トゲトゲしていたと思う。自己開示なんて無理だった。

こう書いていて思うのが、私が仕事において裁量権があることが楽しさを感じることとも繋がるかもしれない。社会に出て、仕事を頑張ればだんだん裁量権がもらえる。”自分で決める”ことの楽しさや欲望に気づけたのは社会に出てからだった。

これ書いていてなかなかに辛さも湧いてくるけど、ここで少しずつ出していけたら。
辛いとはいえ、今私は幸せなので、今までの一つでも欠けてたらここにはいないので、悔いているとかそういうことはありません。

続きはまた明日に書きます。

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