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暮らしと労働の境目。

6月20日(木) 夜

猫、いつもこうして私の三つ折りのマットレスの上で昼寝をしているのですが、昨日敷いている布を洗濯したら、「おい、何か違う。」と表情で抗議してきたので私のタオルケットを敷いて差し上げたらすやすやと寝ています。別に香り付きの洗剤使ってないんだけどな。何が気に入らないのかわからないけど、意思表示してくれるのは嬉しくもあります。

今日も一日があっという間にすぎた。というか、一週間あっという間。もう木曜日。

朝、野菜を買いに行く。近所でたまにある朝市で野菜を買う。私は家ではほぼ菜食なので、朝市で買う野菜は私の主食である。午前、刺繍をする。一つ検討している仕事があって、調べる。あり。けど、行動するまで熟考する私において、まだ行動しない。明日まで寝かせる。昼までに、人物一人、モチーフ6個、猫2匹を縫った。猫はオッドアイにしてみた。

昼ごはん、小麦粉をなるべく控えたいなと思っているんだけど、手軽すぎてなかなか難しい。今日もパスタ。茄子とトマトとベランダで森になっているパセリのパスタ。タンパク質が圧倒的に足りない。午後はオーダー分を縫う。飼い主さんの愛情がわかると、どんな子もかわいい。目の前の犬猫を慈しむことができる人で世の中にあふれたら、争いはなくなるだろうと、結構本気で思っている。というか、犬猫に限らず、人間の家族でも植物でも推しでもなんでも。自分の心を震わせる存在は、世界平和につなげられると思う。

夕方。ベランダの植物たちに水やりをする。外気にあたると、私の大切な人たちが幸せだといいとかそういうことをよく考える。世にある「幸せにしてあげる」という言葉が嫌い。自分が誰かを幸せにできるだなんて、私はどうしても思えない。自己肯定感が低いとかの話ではなくて、おこがましいと思うってこと。反面、親しい人たちに対しては、私と居たら楽しいでしょーというマインドは持っている。これは矛盾しない。明日中にオーダー分縫い終える目標。夜ご飯は野菜と豆腐(と缶チューハイ)。

生活と仕事の境目がない生活がずっとしたかった。今それが叶っている。資本主義バリバリの大手で働いていた時は、自分の労働が何につながっているかわかりにくかった。どう考えてもいただいている分以上の労働をしているなと思うこともしばしばあった。それが株式会社で資本主義だということはわかっていても、その搾取されている感が、体の疲労にさらに負荷をかけてくる感覚があった。

きっかけは環境問題を学んだこと。家で菜食なのもそれが理由。斎藤幸平さんの「人新世の資本論」や松村圭一郎さんの「くらしのアナキズム」あたりを読んだあたりから、自分の働き方に疑問を感じるようになった。資本主義のはじめの頃に予想されていた未来では、労働は週3でよくて人類は幸せになっている予定だったらしい。今そうなっていないということは、誰かの取り分だったはずのものを、誰かが搾取しているということだ。人間の欲深さを感じる。環境が違えば、搾取する側にもなりかねない怖さもある。今の気候危機だって、資本主義がもたらしたもの。資本主義は誰を幸せにしたんだろう。

人新世の「資本論」 – 集英社新書 (shueisha.co.jp)
くらしのアナキズム | 書籍 | ミシマ社 (mishimasha.com)

色んな働き方があるだろうし、資本主義でない世界って、なかなか想像しづらい。けど、できそうなことあるなって、特に「くらしのアナキズム」を読んでから思うようになった。働き方を変えたのもその一環です。今の境目がうすい生活がすごく気に入っている。

明日は夏至です。紙にも色々書きだして、今年後半に備えたいと思います。


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