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今の暮らしのこと。

6月26日(水)  夜

夜中猫のお遊びに付き合っていて、細切れの眠りの朝、起きるのが7時台になってしまった。
今日は外で働く日。たまに友人のお店を手伝っている。

で、今から私の家に友人が来て、そうめんパーティー。
たくさんそうめんをもらったらしい。私は食べることが好きだけど、ものすごく高級なものを食べたいとか、どこどこのレストランに行きたいとかがない。誰と食べるかとか、食べるときの幸福度を重要視している気がする。

一人なら、簡単にできるおいしいものを作る。最近は暑くてキッチンに立つのが億劫になりがちなので、小腹がすくと簡単にトウモロコシや枝豆を蒸して食べる。野菜がおいしいとそれだけで十分食べたいという欲が満たされる。ご飯は土鍋で炊く。丁寧な暮らしを目指しているというより、炊飯器を置くスペースがもったいないなと思ったのと、土鍋でご飯を炊いた方がおいしくて案外簡単だったから。ご飯がおいしいと、お味噌汁だけで十分満足できる。

たまに人が家に来るときは、一人なら作らないものを作ったりする。
今日は友人が来るまでにもう少し時間があるので、簡単なつまみと、薬味を何種類か用意した。それからこの間、柚木麻子さんの短編集「あいにくあんたのためじゃない」の中に出てきた、トマトとツナ缶、レモンと塩で作るそうめんだれを作った。いつもは肉魚を家では食べないけれど、人と食べるときは許可している。私にとって、嗜好品。

昔、人にご飯を作るのがとても苦手だった。何か、自分を認めてほしいというようなものが透けて見えてしまうんじゃないか、承認欲求の強い人と思われるんじゃないかと勝手に案じて、自由に作れない感じがあった。何か作為のようなものが入ってしまうんじゃないかと思った。面倒くさい性格だ。
そもそも人を家に招くのも苦手だった。よくわからないけど、縄張り意識のようなものかもしれない。

それが、この家に越してきてから、人を招きたいと思うようになった。と言っても、誰でも呼ぶというわけではなく、パーソナルスペースに入って大丈夫な人しか呼ばないけれど、住み始めて一年半くらい、たまに友人が来てご飯を食べたり、泊まったりしていく。ストレスは感じない。寧ろうれしい。

何か、自分の中で暮らし方の変化があったんだと思う。
この土地に引っ越してきた頃、地元よりも魅力的な飲食店や遅くまである便利な公共交通機関の影響で、外に出ることが楽しかった。生まれた土地は、車を一人一台持っているような場所で、みんなで集まって飲むということが気軽にできない場所だったので、気軽に街に出て、飲み歩けることが楽しかった。
もう十分満喫したんだと思う。外食をしなくなるというわけではないけど、身近に楽しいことがたくさんあるということに気づいた。

私にとってのたのもしい友人の存在のおかげだなと思う。

みんな、色々ある生活の中で、それを自分でちゃんと抱えていて寄り添いたいと思う人たちばかりだ。私もそういう人でありたい。

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