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発達障害と診断を受けた

数ヶ月前、ついに「大人の発達障害クリニック」の扉を叩いた。ネット上にある診断チェックシートをしても確信が持てない結果となっていたが、まず初診で30分程度医者と話をすると「傾向はある」と言われた。

1.受診のきっかけ

ズバリ、「めちゃくちゃ上司に注意を受けて精神的に参ってしまったから」

わたしは提案接客型のアパレル販売員をしていゆ。まず、社会人1ヶ月目、売上一位のお店に配属された同期が3日で辞めると言い、その代わりとして私がそのお店に異動に。詳細はここでは省くが、結果うつ状態になり、会社とのやり取りの末、「店舗異動」となった。

その後いろんな過程を経て、現在売上二位のお店に。4年目にして毎日注意を受ける上、ついに面談で「販売員として必ずできないといけないことができていない。次の面談までにできるようにならないなら今後のことを考えた方がいい」と言われた。

上司からの指摘点を恥を忍んでここに記す。

現状 1 お客様のお顔、お名前、前回接客したときに話した内容、お買い上げ商品、お好み、ご迷惑をお掛けしたした事などを忘れていることが多く、お客様は覚えているので気持ちも噛み合っていない
2 お客様が答えて欲しいこと、して欲しいことを正しく理解していない
3 聞かれた商品の素材・金額・在庫などをすぐに答えられず、売り込み素材や自分のユニフォームもタグを見て答えることがある。又、売り消しを確認することが多い。
4 「スタッフとして気づいて当たり前」とお客様が思っている様々なことに気づかないことが多い
5 自分が接客していない時の印象
6 会計処理のミス
7 その他のミス
目標 1・お客様を名前で呼べるようになる
・ご迷惑をお掛けした方にお会いした時にすぐ謝ることができる
・お好み、以前お買い上げの商品を踏まえた提案をすることができる
(・接客したことのない方にも同じことが出来る)
2 お客様が仰っていることを正しく理解し答えることができる
3 ・売り込み5素材・ボディ・自分のユニフォームの素材・金額・在庫をすぐに答えることが出来る
・在庫をいつも大まかに把握し、毎回売り消しを確認することなく答えることが出来る
(・ただ答えるのではなく、考えられる様々な角度からお客様のご要望にお応えし、さらに提案もすることが出来る)
4 ・お客様に気持ち良く過ごして頂くために何が出来るかを考えることが出来る
・お客様の手荷物、店頭やフィッティングの乱れや汚れにすぐ気づくことが出来る
・椅子にご案内したり、忘れ物がないか確認するなど積極的に動くことが出来る
5 ・全てのお客様にご挨拶が出来ている
・いつも見られているという意識を持ち、常に柔らかい表情になっている
・作業に没頭することなく、いつも周りをみることができ、すぐにでも会話に参加することが出来る
6 イレギュラーな会計時でも慌てず、最後まで一人で正しく行うことが出来る
7 ・お名前を間違えずに書く、お呼びすることが出来る
・客注、取り置き、修理、配送などのお約束ごとに関して最後まで確実に対応することが出来る


‪実は母親はずっとわたしに「軽度の障害がある」と言い続けていたが、私は診断を受けに行かなかった。「病名をつけて納得したいのはあなたでしょう。理由があると安心するから」とまで言ってのけていた。なぜなら、大学時代バイト先でもサークルでも「仕事ができる人」と扱われていたからだった。

乳児期の成長過程は順調‬だったが、年中の頃ことばの教室‬に入っていた。私の記憶する限り、幼稚園の頃、人生で一番楽しかった。周りが部屋入っても砂場で遊んでいた‬。田舎の公立だから好きなだけ遊ばせていた‬という。授業を座って聞けず、ワークブックの時間も「やりたくな〜い!」と外に出ていたそうだ。小学生低学年の頃通っていた「くもん」では同じところをずっと間違えていた。学校では問題行動を起こしていないが小学三年生の時は1日に10回以上癇癪。そんな子供だった。

‪母曰く、父親も発達障害の可能性が高い。ただわたしと違って知能指数がとても高い。TOEICは満点、誰もが知っている名門大学に予備校なしの独学で合格している。小学生の頃は、教師の間違っているところをすぐ言うので、教師に嫌われていたそうだ。

2.実際に検査を受けた

次の検査では当てはまることが多かった。こんなことも聞かれるのかと思った。蝶々結びが上手に出来るか、小学生の頃二重飛びができたか、マット運動は得意だったか、走り方が変と言われたことはあるか、言葉の学校に行っていたことはあるか、何かに没頭して睡眠や食事を忘れたことがあるか、癇癪もちだったか、事故を起こしたことはあるか等々。

親に運転免許を取るなとかクレジットカードは作るなと言われていたこと、幼稚園の頃色んな習い事をさせられていたこと(恐らくギフテッドの可能性を模索していたんだろう)、すべての辻褄があった。あの頃から親は私のことを発達障害者として扱っていた。普通の子ではない扱いをしていた。そのことを痛感して、三回目の検査を受けた後、帰り道はらはら泣いてしまった。

正直、受け入れられなかった。

クリニックの帰り道、電車の中で10歳の発達障害の男の子の記事を読んで泣いてしまった。将来の夢を聞かれて、「まず、僕がみんなと違うことも受け入れられるような人になりたい。それで、そういう人たちを受け入れられる社会を作れたら。」と答えていた。わたしもまず自分がみんなと違うということを受け止めないといけない。それができなかった。

わたしはこれからどうしていったらいいのかわからない。夢を諦めないといけないのか。内定先にこの事を伝えるべきなのか。遺伝する発達障害を持つ私は、子供を持てないのか。どうやって生きていったらいいのか。そんなことで頭はいっぱいだった。検査結果を私は受け入れられるか怖かった。毎日泣いていた。

あるドキュメンタリーで笑って発達障害であることを話している人がいた。「これくらい明るくしてなきゃ生きていけない」という言葉がずっしり重かった。

ネット上にある診療医が「私がずっと発達障害に関わってきて不満な点は、発達障害はかわいそうな人たちというイメージがあることです。社会の中でみんなが助けてあげないといけないという考え方で、税金から障害年金をあげたりしていますが、本当はそういうことはおかしいと思うのです。発達障害の人もギフテッドの人も、みんなちゃんと社会に出て働くべきです。彼らを上手に使って、みんなで生きていける社会を作るべきだと思います。」と言っていた。私もそう思う。どうして日本ではこんなに発達障害と言われることが多いのか。ギフテッドという言葉が浸透しない、かつギフテッド教育も無いと言って過言ではない日本は、恐らく私にとって生きられる場所ではないのかもしれない。そんなことを毎日思ってつらくなっていた。

あの時期はずっと西の魔女が死んだという本の中のセリフが頭の中で反芻していた。

「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」

以下はネット上にある論文を読みあさり、まとめたもの。もし発達障害の診断を受けて、わたしみたいに自己肯定感ダダ下がり&お先真っ暗な気分にになってしまった人がいたら読んでほしい。

著名な芸術家や研究者、会社の社長などの中には発達障害を持つ人が少なからずいる。エジソンやアインシュタイン、俳優のトム・クルーズなどが有名だ。発達障害の特徴の一つは能力の凸凹が大きいということ。欧米では秀でた能力を「神から与えられた才能」と考え、それを伸ばそうとするが、日本では「まんべんなくできる」ことを重視する文化的土壌があるため、「できないこと」に目が行きがちだ。だから彼らは生きづらさを感じるし、持っている能力も活かしづらい。 そもそも能力の凸凹は誰にもあるもの。その程度が激しく、本人や周囲が対応困難になると発達障害とされるが、障害なのかそうでないのかは相対的な部分があり、できない部分が目立つと障害、秀でた部分が目立つと個性と呼ばれる。その違いは紙一重だ。
能力の凸凹ができる原因は、脳の機能を決める遺伝子のパターンでしょう。しかし一つの悪い遺伝子が原因というわけではなく、関連する一連の遺伝子があって、それらにどうスイッチが入るかで脳の機能が変わってくると考えられている。 遺伝子のスイッチを入れるのは環境です。社会環境からのストレスによって分泌されるホルモンや、虐待なども広い意味で環境と考えられる。たとえばMAOA(モノアミン酸化酵素A)という神経伝達物質の働きを調節する酵素がある。働きが弱いMAOA遺伝子をもつ子どもがひどく虐待されて育つと反社会的行動を起こしやすくなるという報告がある。
かつて炭坑では、毒ガス検知のためにカナリアを連れて抗内に入った。カナリアが生きていれば危険はないと考えるのだ。発達障害の子たちは「社会のカナリア」だと思います。この子たちが生きづらいと感じるのならば、それは社会の方にひずみがあるからだと考えるべきではないのかと思う。
米ニューヨークのワイル・コーネル医科大学の精神薬理学部長を務めるリチャード・フリードマン教授によると、アメリカでは約11%の人が4歳から17歳までのある時点でADHDと診断されているそうだ。10人に1人以上という計算になる。教授は、「それほど多くの人がもつ症状なら、もはや障害や疾患とは呼べないのではないのでは?」 と疑問を呈している。
トム・ハートマンはADHDに関わる遺伝子は狩猟民族に必要なものであったと言っている。直感で動く狩猟民族だから、何事も慎重な農耕民族ばかりの現代では生きづらい。ただ、農耕民族は作った農作物を独り占めするが、狩猟民族は獲った獲物をみんなに分け与える優しさがある。 また、ADHDの特徴の一つとされるあえて危険を冒す行動は獲物を得ることにつながり、それが自分の地位を高め子孫を残せた。この遺伝子は農耕民族にとっては必要性が低いが、芸術、研究、起業などのクリエイティブな分野には有効である。そして、この遺伝子が人類に無益なものであればとっくに淘汰されているはずなのに今も残っているのは、意味のある多様性の一つだからと考えることもできる。 将来的には遺伝子治療の技術で発達障害に結びつく遺伝子の状態を変えられるかもしれない。でも、それは人類にとって本当に幸福なことなのだろうか。
現在、精神疾患に関して診断や判定を受けることへのハードルが下がっているかもしれない。以前に比 べて発達障害やうつという概念は広まり、心療内科や精神科の診療所が増え、そこにかかる人は増えている。そこで行われている治療の問題の在り方をめぐる議論は置いておくとしても、精神疾患が特殊なもので あるという意識は、かつてよりも人々の間で少なくなってきている。  しかし、精神疾患への偏見や差別がなくなったとはいえない。また、発達障害も含めて精神疾患という概 念そのものが孕む問題もある。また、それまでは病気や障害の特性として理解されず、人々が否定すること も肯定することも含めてある人を様々に理解していた関係から、その人を引き離してしまうことがある。それ まで障害とされてこなかった人の特性を障害として理解することが、その人と関係を築くことにつながること がある一方で、逆にその人を人々の関係から排除してしまったり、発達障害の特性は~であるから~のよう に接するといったマニュアルに基づいた関わりの中へとその人を分けて押し込めてしまったりするようなこと も起きうる。精神医学の体系そのものが、人の特性を正常と異常に分けるものであるがゆえに、その診断 や判定そのものが、診断や判定を受けた人間に異常という否定的な烙印を押し、社会的にスティグマを付 与していくような面がある。そういう意味で、他の精神疾患の診断や判定と同じく、発達障害という診断や 判定そのものが差別的であるという面もある。  疾病名や障害名というものが孕む差別性を考えるならば、そのような疾病名や障害名を作った、あるいは誰かに対して疾病名や障害名を付与した人間の責任は問われるべきである 。疾病名や障害名が新たに作り出され、それがある人につけられるということは、それに伴う差別や偏見、排除もまた生み出すことでもある。
何ゆえ発達障害をもつひとは、子どもの頃から、家族、先生、同級生、職場の人たちから怒られ、責められてばかりでなくてはいけなかっ たのか。何ゆえ「ばか」「ダメ人間」「だらしない」「性格が悪い」「ぐず」「頭がおかしい」などと言われ続 けなくてはいけなかったのか。どんな人であっても、人と同じようにふるまえないことによって、 そんなにまで責められたり、そんな言葉で罵られたりする社会があるとしたら、そんな社会は発達障害の特 性があろうとなかろうと、どの人にとっても生きづらい社会である。
社会のマジョリティが受け入れている規律性や同質性、効率性といった当たり前を 普通とし、その普通にそって生きられない人を普通に生きられないのは自己責任であるとし、差別し、排除 していく社会が問題であるという見方もしていかなくてはいけない。 発達障害という概念が受け入れられてしまう理由として、個人に責任を求めすぎてしまう今 の社会のあり方がある。
2000 年頃から、社会の中で自己責任という言葉が多く使われるようになっていった。そして、社会の問 題として解決しなくてはいけない人々の生活問題までもが、自己責任として語られてその人個人の問題とし て語られることが増えていった。  しかし、このような見方には問題がある。人は一人では生きているのではない。地域や社会との関係性 の中で生きている。無人島に一人で生まれて一人で死んでいくわけではないのならば、人はその生活を人 との関係の中で成り立たせていく。それにもかかわらず、何か困難に陥ったり過ちをしたりした個人がいる と、それを自己責任であると決めつけるようなものの見方は誤りである。
障害の理解ということが、その人を理解していくことにつながることは実際にありうる。しかし誰 かに障害というレッテルを貼ることは、その人を障害者として括って分けていくことにつながることもまた確かである。
発達障害の特性を持つと定義された子どもや大人が、その特性を引き受け自己意識化して、
その特性にそって行動するということも起こりうる。診断名や病名の付与が、ある傾向のある人を発達障害者として定義し、定義された人間は定義された通りの人間であると自分自身について思い込んで定義された通りに振る舞い、そのことで周囲もその人を発達障害児・者としてまなざすようになり、さらに本人は周囲のまなざしを自らに取り込んで発達障害の特性のとおりの言動をし、発達障害児・者になっていく。そんなことも起こりうる 。
また、ある子やある大人が、発達障害があるという視点で見られていくことにより、障害があるから他の 子や大人と同じように何かをすることを求められなくなる代わりに、「病気や障害を一生懸命に克服している 障害者」という役割を担わされうる。
子どもの学校生活にせよ、大人の職業生活にせよ、その社会で求められることがより多く、かつ厳しくなればなるほど、そこで苦しくなる人は多くなるであろう。そして、現在、そこで苦しくなった人たちが発達障 害という病名を診断され、医療に救いを求めているという状況が起きている。そうなると、社会が求めるこ とがより多く、またより厳しくなればなるほど、病名や診断名を求める人は多くなることになる。  しかしである。これを続けていくと、障害児・者とされる人はどこまでも増えていくことになる。子どもに ついていえば、いじめや不登校、非行の原因に発達障害があると語られ、発達障害児が括りだされた後の 教室で、さらに子どもたちに社会が求める理想の子であることが求められる。そうすると、何が起こるか。求 められる能力や平均値はより上がっていき、その中でいじめが起こり、不登校をする子や非行に走る子がで てくる。そして、その原因もまた発達障害として語られていく。そうすると発達障害はどこまでも増えていく。 あるいはまた新たな診断名が登場し、今度はその新たな診断名を求める人が増えていくかもしれない。  そして、その過程で人が直面するさまざまな困りごとが、発達障害として語られ、障害への支援という文 脈で語られていくことになる。そのことにより、人々が生きている社会について考えていこうという視点(例えば社会保障や教育政策、労働政策、地域や学校、職場全体の問題)は薄れていってしまう。ある子どもやある人の言動を「問題にする側の認識や見方」は問われなくてよいのか?
社会は日々変化している。多様性やダイバーシティと言われ、かつては認められなかったことが、今では 認められるようになってきている。かつてに比べて、セクシャル・マイノリティの人々に対する見方は変化し たように思う。以前よりも街のバリアフリー化は進み、車いすに乗っている人が街に出やすくなっているよう に思う。  しかし一方で、かつてであれば曖昧にされていたこと、許されたことがだんだん許されなくなってきている。 多様性やダイバーシティが叫ばれる一方で、労働や生活の場でそれまで求められてこなかったこぎれいさや 正確さが求められることがある。しかし、その中で求められるこぎれいさや正確さにうまく応えられない人の 中には、社会の中で貧困や社会的排除などの状況に追いやられていく人もいる。  かつ今の私たちが生きているサービス業が中心となりつつある高度消費社会には、はっきりとした人を評 価する価値基準がない。そのような価値基準のない社会では、多くの人が他人からどう見られるか、評価されるかということを気にしながら生きている。そのような社会の中で、うまく今の社会の雰囲気や空気に合 わせられないことが発達障害として語られることがある。そして、自分の生きづらさが何だかわからずに不安 だった人が、はっきりとした価値基準のない社会の中で、発達障害という診断名に自らのよりどころを求めてひかれていくことがあるのだろうと考えられる。

次回は「診断を受けてからどうしたらいいか」について書く。


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