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わかってもらわなくてもいいけど、苦笑する

30年来の友人は、一人暮らしをしたことがなく、自分の収入で生活を切り盛りしたことがない。
そういう経済的にお得な人もいるんだなぁと、家賃貧乏な20代の頃、お給料が全部自分の口座に入る人もいるんだなと、思った。

初任給から、家賃が5万円と光熱費食事で10万円弱が飛んでいく私の当たり前と、それがすべて親のお財布から出ていて、しかも家事もない暮らしを当時比べていたわけではない。純粋に自分を基準に暮らしていたのだと思う。

海外旅行ブームもあり、ヨーロッパに行くために20万、グアムに行くのに10万円、そして免税店でのお買い物をしたいのであれば、私の2ヶ月分の家賃生活費で苦労なく行けるんだよね、と50になればわかる。
なぜか、20代の頃はまったく貧乏が苦痛でもなかったし、親元でぬくぬくしている友人がうらやましいだなんてかけらも思ったことがなかった。

そんな遠い昔のことを思い出したのは、今の私のことを「パワーがある」とその友人が表現したからだ。
パワーってなに?
したいことをただしているだけだ。
前もそう思っていたと。

あぁ、同じ給料で生活費全部払っている新入社員はパワーがあるって思われていたんだ・・苦笑

以前の記事でもしたいことをしていきたい、50歳からは嫌なことはしないって決めたと書いている。
だから、自分が働いて出来るだけの範囲で、自分を生きているだけ。

それって、パワーなのか?

友人には、大企業の役員である父親がいて、優秀な兄がいて、お見合いで結婚して、就職もそのお父様の会社にしてそのまま寿退社をしたのであるが、最後まで自分で決めなくても食べていける人生が用意されている人もいるのだなと思う。

私のように、大学から親元を離れて、初任給から一人暮らしで生活を立てていると、貧乏も狭い賃貸もやりたいことの我慢も、経験しているはず。
それでも、何と比べてうらやましいとも思わず、給料の中でのやりくりをしていたかな。
それは平成の話で、令和の子たちは親ガチャというくらいだから、自由になるお金の差がどうなのかをわかっているんだと思う。

無いなら生み出せ!

若い頃からそれが当然だと働いてきた。疑いもしなかった価値観である。
玉の輿や、相手の肩書きはそれほど気にもせず、ただ自分がずっと好きなことをやり続けることが出来る相手だろうかと考えて結婚したような記憶がある。
結局、誰と結婚しようが、遠慮という範疇の中で出来ることをやることになるのだけどね。

満足していることは、夫が真面目に勤務するサラリーマンであったため、住処と食べることには困らなかったこと。

この春の近況を友人と久々に話していて、「パワーがある」とか「すごいね」という自分への感想を聞くと、戸惑うなぁ。私はしたいようにしているだけだけど、実際は疲れるときもよくあるし、老化と戦っている毎日です。

じゃあ、戸惑うことなく、嬉しく思う感想ってどんなものだろうか?
たぶん、ですが
「私も○○取り組んでるんだよ」とか、「こういうことをやってみたいと思っている」という反応かと思う。

それいいねとか、そういう楽しみもあるんだねっていう広がりを会話で持ちたいし、50歳を超えると仲間から希望をもらいたいのである。

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