心からそう思う
自分でそう思ったつもりとか、思いたい、そうありたい、と
心からそう感じる、思う、というのは感覚的に全く異なるもの。
先日、ルリ子の中学校の入学式に参加して、
「自立へ向けて安心して背中を押せる時が来たな」と
心からそう思いました。
中学生活がうまくいくかどうかは別として、親として責任をひとつクリアしたように感じています。
ただ時間が経ったから区切りがついたのではなく、感覚的にあ~~そうだと思うことだから。
中学受験をした(させたのは親?)結果、希望する学校に入学させるところまでは、大人の力加減でなんとかなるところ。
だから、ここまでは私もやるよ、という強制的な気持ちで中学受験を手伝ってきました。
最初は、その方が子供にとって良いかなぁとかいう漠然とした気持ちから入ったのですが、そうはならなかった・・まさか小学生がそこまできわどく勉強するとは想像だにしなかったバカ親だったのかもね。
多少の無理もしましたし、認めて伸すなんていうような素敵な育児にはとおかったかと。ただ、ひとつ良いところをあげるとすると、手は離さなかったし厳しくしても責任を取るのは私、だから見捨てないという覚悟はし続けました。信頼関係を壊したくはなかったけど、優しくすることや甘くすることで保持するのではなく、厳しいこと言うようだけど・・・の姿勢は崩しませんでした。
結果オーライだから言えるけど、これ、全落ちしていたら、謝っても許してもらえないかも知れないね。
ルリ子が、こんな母親にでも、めげずに、逃げずに受験勉強をやり遂げたことは、勉強をするという資質だけはあったんだと認めています。
だったら、自分でもう切り開いていけるんじゃないかな。心から入学式の体育館でそう思ったんです。
そんな風に、心から思える式典でした。学校に任せてみようと思えるいい式だった。
まったく親に関係ないよ、にはできないけれど、学習の進め方や深さをこれでいいのかなぁと自分に正直に向き合うことは教えてあげられないし、チャレンジしたり失敗してトライアンドエラーを繰り返すことまで、口を出すのは自立の妨げだと思うので、
がんばって!
心から、そう思っています。
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