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中学受験に至るまで

自己紹介のひとつとして、私とルリ子が中学受験するに当たり、おおまかにどんな道をたどったのかを書きます。

時系列です。

①幼稚園

通っていた幼稚園に集まる保護者が教育熱心だったため、ほとんどのお子さんが中学受験を見据えた幼児教育(お教室)を受けていたのに驚きました。そんな世界もあるんだなぁ・・・(そのときは地方に住んでいたので特にそう感じた)

幼稚園は預かり保育が17:00まであるので、仕事もしていました。

小学校は、幼稚園からそのまま上がる私立小学校に行きましたが、私立であることの不便さが仕事をしていると辛く(台風が心配やら長期休暇の預かりがない、などすぐ帰宅するなどなど諸々たくさん・・・)転居を機に、公立小学校に転校しました。

②通信教材

教育の面では、幼児教育は不要と感じていたので何もしていません。やっていたのは、ただひたすら自然のあるところを歩き回っただけです。文字を書く,計算をするの延長で、小学1年生から通信教材を始めました。四ッ谷大塚の通信教材から始めたのですが、ボリューム大で馴染みが悪く、サピックスのピグマに変更したところ、毎月楽しくやり残しがなくなりました。ピグマは、3年生まで継続して、添削プリントは提出、それにコメントが丁寧につけられていたのが懐かしく思い出されます。

③入塾

新3年生で大手塾の入塾テストを受けました。なぜ受けたのかも覚えていないほど。全校小学生統一テストだったかな、それを受けてみたかったのか?忘れました。その大手塾日能研の雰囲気が楽しいから行きたいとルリ子が言い出し、乗りかかった船だしと入塾しました。ところが、その塾の特別クラス(名称は変えています)に進められるまま入りましたが、進度も速く難易度も高く、持ち帰ってきた教材を家でやる(やらせる?)苦痛ったら親子で半端なかった。準備もなく塾に行くとはこういうことだと思い知りまして。小学3年生というかけがえのない休日の時間を犠牲にして通塾するのはちがうよー、きっと後悔する!と3ヶ月通ったころお休みしました。

塾で優秀なお子さんたちはそのような学びをしているんだなと知ることができたので、ルリ子には、「家庭学習で力をつけてから、また塾に戻ろう」と声かけしたのを覚えています。ルリ子はわからないのに行きたがっていたけれど、私は座ってるだけだと察知できました(^^ゞ

④通塾再スタート

新4年生になる2月にお休みしていた日能研に戻りました。再度入塾テストを受けて、家庭学習の準備が整っていたのかNクラスでした。最初は夜まで塾で勉強する体力もなく、通う練習といったところ。当時は9時に就寝していたのです。

⑤転塾

その8ヶ月後、転塾しました。私がルリ子を見ていて、そして塾の面談や保護者会に出てみて、「なんか違う、ここであと2年過ごすのは違和感あるな」と思いました。

それは何だったのか?一人目受験はこんなものかなぁとわからない中で蓋をしてしまいがち。二人目なら転塾しなくても、親が経験上何か出来ることがあるのかも。誰が悪いとか嫌なことがあったわけでもなく、ルリ子が嫌がることがあったわけでもありません。一言でいうと、なんか違和感あるなぁとしかその当時は言いようがなくて。今なら、こういうことじゃない?と当時の自分に声かけてあげられる気がするけれど。

退塾するときの説得?そんなことで退塾するのですか?と電話で一時間ほど諭されたことが、今では思い出です。

⑥転塾先は

転塾先は大手塾ではありましたが、地方カラーが強く、教科指導に偏りがある塾でした。それは全く気にならなくて、日能研より授業は騒がしいし、値段も跳ね上がりました。でも、転塾することで違和感がなくなることが何よりよかった。どのようにルリ子が勉強を進めているのかが毎週見えやすく、躓きを発見しやすかったからです。どこの塾に行っても、親が子どもの学習進度を確認したり、フォローは必須となります。家庭教師がつけられたらいいのですが、我が家は私がフォローするやり方でした。はじめの大手塾は、ここがやりにくかったから違和感だったんだと腑に落ちたからの転塾でした。塾ではおとなしい子(質問できないタイプ)で、どの塾でもルリ子が先生と個別に関わることはあまりないので、授業のみでした。

テストも塾によって形式が違います。どのくらい実力が付いているのか確認しやすく、穴を塞ぎやすいテストをしている塾が心地よかった。結果がボロボロでも、それが実力とわかるテストを受けるなら、日曜日にユウリョウのテストを受ける価値があります。

私とルリ子にとって、大事なのは「教材」「宿題」「テスト」「学習の進め方」がマッチするかということ、そこに違和感を感じないことでした。

⑦ルリ子の性質

ルリ子はどこでも学習を嫌がらず、転塾前も後も、楽しそうに通いました。どちらの塾でも役に立った授業は覚えているし、講師によっていろいろといいます。ただ、競争意欲が出たのは、転塾後でした。転塾先では、真ん中のクラスからスタートし、学習の進め方がルリ子向きだったのか、6年生になるころぐんと伸び、塾の上位に入るようになりました。メンバーは変わり者が多いところがたのしかったとか・・・

気質を書いてみると、

依存>自立、陽気<陰気、グループ<個人、文<数、遅>早、インドア>アウトドア

⑧コロナ災禍となった

6年の春、コロナが・・・・。せっかく成績も上り調子になったところで、小学校は休校、塾も思うように対面授業を進められない中で、志望校別の授業を選択せねばならず、受験校を考えることになりました。ここで、転機が訪れました。どこの中高で6年間を過ごすのかをよく考えないまま、塾で受験勉強を続けていた親子だったんだと気づいたんです。

次へ続く・・・


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