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「いじめ」は立場によって見え方が違うよね。

 皆さんは、学校のイベントと言ったら、何を思い浮かべますか? 

 きっと、入学式や卒業式、学校祭、体育祭、修学旅行など沢山のイベントを思い浮かべると思います。ただ、これらのイベントは人によっては大・小異なるイベントになると思います。

 例えば、卒業式。自分が卒業する立場じゃなかったら、もしかすると小イベントと捉える人もいるでしょう。逆に自分が卒業する立場なら大イベントと捉える人もいるでしょう。同じ時刻に同じ場所で行われているイベントでも、その人の立場によって異なる大きさのイベントになるのです。

 そこで、本テーマ「いじめは立場によって見え方が違うよね。」について触れていきます。

 上記では、イベントは立場によって捉え方が異なると話しました。まさに、「いじめ」をイベントと置き換えると立場によって捉え方が異なると思います。

 「いじめ」をした加害者、「いじめ」を受けた被害者、「いじめ」があると知っててスルーしていた第三者(黙認者)、「いじめ」があることすら知らなかった第三者など色々な立場の人がいると思います。

 恐らく、「いじめ」の被害者は、悪い意味で大イベントとなるでしょう。

 では、「いじめ」の加害者、「いじめ」の黙認者はどのように捉えるのでしょうか?

 まずは、「いじめ」の加害者から考えてみましょう。「いじめ」の加害者の場合、様々なパターンがあると思います。例えば、加害者とバレて先生等にお叱りを受けて反省した人、逆にお叱りを受けたことで更にいじめを加速させてしまった人、加害者とバレたけど、お叱りを受けなかった人など、様々パターンの人がいるでしょう。そのため、一概にイベントの大・小といった優劣が付けられないです。しかし、加害者へ良い影響を与えることができれば、きっと良くない大イベントと捉え、同じ過ちを繰り返さなくなるでしょう。

 次に、「いじめ」の黙認者について考えてみましょう。「いじめ」の黙認者は、小イベントと捉えるでしょう。なぜなら、そのいじめに直接関わっている訳ではなく、あくまで間接的に関わっている立場の人だからです。

 人は単純です。直接良いこと、あるいは悪いことを体験・経験すると、記憶に残る大イベントになるものです。しかし、間接的に体験(いじめを見ただけとか)だと、小イベントに見えるもんです。

「いじめ」は被害者、加害者、黙認者、その他の第三者、立場によって見え方が異なり、被害者にとって最悪な大イベントです。

 この記事を読み、「いじめ」は被害者を不幸にするから、良くないと改めて気づいて頂ければ幸いです。

以上、「いじめ」について書き留めてみました。

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