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我が家の宇宙人が赤ちゃんだったとき

こんばんは。id_butterです。

最近長女について書いてきて、赤ちゃん時代を思い出したので書いてみようと思う。なんでかというと、おもしろかった気がしたからだ、たぶん。
ひとことでいうと、彼女は女まるだしの、妖艶な子どもだった笑

一番古い記憶、それは彼女が生後1ヶ月の時だ。
経験のある方ならわかるだろうが、わたしは衣食住という人間の権利すら奪われていた。
2時間おきの授乳、とは名ばかりで実際は1時間おきだった。
長女はなかなかおっぱいを飲むのが遅く、授乳には30分かかった。
そして寝かしつけに30分。俗にいう「背中センサー」がついていた彼女は、ベッドに置くと起きてしまうので、わたしはあぐらをかいて彼女をずっと抱っこしていた。どうしても辛いときは、なるべく抱っこしている状態を崩さないように彼女の体を丸めて、隣にくっついて体温が伝わるように寝た。

うとうとした瞬間に、彼女はギャーギャーと泣き始める。
ほんとうにギャーギャーという音としか言いようがない。
睡眠不足で、ご飯もろくに食べていなくて、トイレすら行きたい時に行けなかったわたしはイライラするというより絶望した。

そしてある日、そのギャーギャーの最中に夫が帰ってきた。
玄関から「ただいま」と声がしたその瞬間、泣き声が変化した。
「ンフンフッ、エヘッ、ンフッ…」
耳を疑った。
明らかに女の子らしい、可愛らしい泣き声。

夫も気づいていた。
「今さ、泣き声変わらなかった?すごい声で泣いてたよね。」

…ええ、おっしゃる通りです。
なんとなく気づいてはいた。
この子は生後1ヶ月にして、猫をかぶるということができるらしい。
彼女が本性を表すのはわたしの前でだけなのだった。
わたしの絶望に夫すら気づかなかったのは当たり前だった。

当時のわたしはというとオランウータンのお母さん状態だった。
眠くて眠くて眠くて、上半身まるだしでおっぱいをあげながらあぐらをかいて娘を抱っこして寝ていた。というか寝落ちていた。
お腹が空けば、そのままおにぎりをほうばる。
一回鏡でその姿を見たけれど、写真でよく見るオランウータンのお母さんにしか見えなかった。

けれど、どこのお母さんもそんな変わらないらしい。ほんとか?
ママ友に返される、「わたしなんておにぎりじゃなくてバナナくわえてたからもっとオランウータンだったよ」と。まじか。
上には上がいるものだ。負けた。

お風呂に入るときは、脱衣所にお布団を敷いて長女を寝かせて入ったし、5分で出た。それすらも億劫で、何より寝たかった。トイレも、子どもが寝ているときにドキドキしながら行ったしドアを閉められなかった。
それほどに、わたしが離れると泣いていた。

そんな状態だったけど、夫が見ている時の娘はいい子らしい。
あんまり泣かないし、よく寝るらしい。
わたしが連れているときはベビーカーに乗ってもくれないのに。
生後3ヶ月を過ぎた頃だっただろうか、首が座った彼女が少しでも長く寝てくれるようにと、毎日抱っこして外を10kmくらい歩いていた。
ベビーカーは乗り物ではなく、杖代わりだった。

娘は大層美人だった。
わたしには悪魔に見えるのだが、他人には天使に見えるらしかった。
抱っこして歩くととにかく声をかけられる。
「まぁ〜かわいい赤ちゃんね、なんて美人なの。」
と褒めた後、おばあちゃんたちに必ずいわれた。
「お父さんは外国の方なの?」
黒目がちの瞳、二重まぶたで切れ長の目にびっしりと生えた長いまつ毛。
真っ白な陶器のような肌にピンクの頰とぷっくりした唇。
どうやらそんな娘の美人さとわたしの顔に因果関係が見出せないらしい。
失礼なおばあちゃんたちではあるが、特に腹は立たなかった。
こういうことは人生で二度目だったので、慣れていた。

美人てほんとうに得なんだな、と思うことはなんどもあった。
とにかく、娘はものをもらうのだった。
知らないおばあちゃんたちは、娘にとにかく何かを与えたがった。
あめちゃんやら、ヤ○ルトやら、箱入りの開けていないお菓子やら、断っても断っても手の中に握らされるのが日常だった。

そんな娘も少しずつ大きくなる。
1歳のときくらいだっただろうか、忘れられない一瞬がある。

たぶん、わたしが娘を叱ったときのことだったと思う。
叱られて泣いていた娘を夫が抱き上げた。
後ろ向きに抱っこされた娘と肩越しに目が合う。
ニヤリ、としか言えない表情でわたしを見ていた。
もし台詞をつけるなら「パパはアタシのものよ」だったと思う。
憎たらしい、とかは思わなくて、なんかおもしろいこだなと思った。
なんというか、「THE 女」みたいなことをするのだ。
昭和の女優の演じる、ベタベタなアレだ。
まだ人の視線を意識しないからなのか、純粋にそれを丸出しにするのがおもしろくてたまらなかった。

こんなことも、あった。
2歳くらいだっただろうか。
いつものお友だち家族と公園に出かけて、みんなでピクニックをしていたときのことだ。
ふと振り返ると、うちの娘がお友だちのお父さんにしなだれかかって甘えているのだ。距離感が、お友だちとお父さんよりなぜかものすごく近い。
うちの娘とお友だちのお父さんの方が親子に見えるほどに自然だった。
なぜか焦って、変な汗が出てきた記憶がある。
けれど、お父さんはまんざらでもなさそうで、「これが女子力というものか〜」と笑ってくれた。(これでなんとか救われた…)

保育園でも、あった。
ある日の日報に書かれた一行に唖然とする。
「今日は〇〇くんと肩を寄せ合い二人でずっと夕日を見つめていました」
先生、何が言いたいんですか、と思ったけど、やっぱり笑ってしまった。

容姿もあいまってか、そういうときの娘は笑顔が妖艶としか言えない表情だった。

そのように色々な人に育ててもらった育った娘は、自己肯定感の塊だった。
3歳の頃は、散歩している犬はすべて「わたしと遊ぶためにこっちに歩いてくる」とまで言っていたほど。

それを思えば、今はそんなに宇宙人ではないのかもしれない。
居残り勉強をさせられれば、「わたしは少し頭が悪くなったのかもしれない」と落ち込むようになった。
そして、あんなにおもしろかったのに、今の性格は男の子のようなのだ。

それでも、ちょっと変だ。
「チャラ男」のような性格だからだ。
毎朝、わたしに「今日もママかわいいね〜」とノリノリで言ってくる。
お友だちのかわいさを、なぜかすごくプレゼンしてくる。
公園に行けば、男女かまわず新しいともだちをすぐに作ってくる。
次女に冷たくされようが、わたしに怒られようが、全然めげない。
ずっとナンパしている男の子を思い出させるのだ。

そういうメンタルがまったく理解できない、という点では、わたしにとって永遠の宇宙人であるのだけれど。

我が家の小さな宇宙人へ
今日も一緒にいてくれて、ありがとう。
母はまた、怒ってしまった。
大人として叱る、を徹底しきれずに。
あなたが半人前の地球のこどもであるように、わたしもまた半人前の宇宙人の母だ。
明日も笑顔で過ごせるように、泣いても笑顔で終われるように、隣に座り続ける。たりないままで寄り添う。
だから、あなたがいらないと言う日まで、一緒に生きていきましょう。



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