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#74 アンパンマンと翼くんには友達がいない話

こんばんは。id_butterです。
人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の74話目です。

「ボールは友達」の翼くん
「愛と勇気だけが友達」のアンパンマン
このふたりには、友達がいないと思っている。極論かもしれない。

けれど、アンパンマンの話はやなせたかし先生の本で読んだことがあるのだ。たしか、ヒーローは孤独でなくてはいけない、という話だった。

そのときに、思った。
誰かを助ける仕事、というのはたしかに誰にでもできることじゃない。
母親だって、時折考える。
宇宙人と地球人がふたり同時に死にかけてて、どっちを助ける?という状況の時どうするのか。

命がかかっている現場や、誰かを助ける仕事に就かないと決めている。
自分と近しい家族や他人どっちを助ける?という問いに正解できない。
職業倫理、というものを貫ける自信がない。

けれど、なんてことのない日常の局面でも、「選択」の瞬間は落ちている。

最近、やめたいなと思っていることがある。
近くのひとを放り出して、すごく困っている遠くの誰かを助けること。
どんなときも、近くのひとを大事にしたい。
宮沢賢治のデクノボーを憧れるのをやめたい。
困っている誰かを助けるのは、わたしじゃなくていい。
わたしの両手は、もう宇宙人と地球人をつかんでいて、もう余ってない。

逆も、然り。

このときに、彼の既読スルーについて、書いた。
それはある種、必然ではあった。

わたしが、言ったのだ。
既読スルーは気にしないよ、と。
わたしは、彼の前で素の自分でいることを赦された。
だとしたら、彼もそうであってほしい。

もうひとつ。
彼の役に立たないように、彼をわたしの役に立たせないように、する。
関係性を変えたかった。

彼の役に立ちたい、以前はそう思っていた。
職場では、それはよかった。
けれど今、同じ会社ということ以外、彼とわたしの間には何もない。
その関係下で役に立とうとすることは、彼の弱さを探したり、彼に何かあることを願ったりすることだ。そして、彼を信じないことだ。
彼にはわたしが必要ない、ということは健全なのだ。

彼をわたしの役に立たせない、ということも同じだ。
彼とわたしが仲良くなったのは、わたしの弱さがきっかけだった。
以来、「かわいそうなわたし」を武器に彼を引きつけようとしてきたかもしれないことに最近気づく。

わたしは、彼が自分を助けてくれるから好きなわけではない、と思う。

だからこそ、間にある不純物同情とか、忖度とか、庇護欲とかを全部取り除いて、気持ちの純度を高めたかった。
そして、知りたかった。
自分の気持ち、ここにあるものが何なのかを見極めたかった。

彼は働いているとき、「デクノボー」みたいなときがある。
そういう彼を、好きになった。
けれど、プライベートの彼はたぶん「デクノボー」ではない。

もう仕事上の利害関係はない。
ほぼ完全なプライベートだ。

その結果の既読スルーなのだった。
はっきりしたつながりは消えて、海の上を漂流しているほどにわたしは彼から遠く離れているのかもしれない。

その彼を、わたしはどう思うのか。
ということを考える時間なのだった、今は。
けれど、ほんの3週間言葉を交わせないだけで、乾いて焦げてしまいそう。

ただの片思いなのに、馬鹿みたいだ。
というひとも、わたしの中にはいる。
さっさと諦めればいいだけじゃん。
というひとだって、もちろんいる。

正直、つらいだけのターンだ。
けれど、放り出すならいつだってできる。
だから、今は自分の中の人たちが吐き出す本音にひとつひとつ向き合うことにしてみる。

それで、どんな結果が待っていても、受け入れるしかないよ。
そう強がっているひともわたしの中にいる。

けれど、行動は必然だ。
彼に何かを言ったとき、わたしはここまでのことを考えていなかった。
いつも、自分の行動の意味がわかるのは後からだ。
そう、何か意味があったのだ。

自分の選択した行動なのに、「受け入れる」必要があるほど、わたしの両端はよくずれる。
気持ちも意志も思考も行動も、全部わたしなのに、いつも意見が合わない。
その意見のズレは、いつも胸に痛みを生じさせて、心が軋む。

いつまでも隣を歩くことはできないのかもしれない。
そう思ったら、涙が出るのに、しょうがないと言うのも自分なのだった。

冒頭で、アンパンマンと翼くんの逆を行くといったのに、なぜか同じように孤独になるというのは逆説的だなと思う。


歌詞が深すぎるのよ…


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