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【㊗️】The gardensサブスク&MV解禁


1st ALBUM A Place in the sun

A Place in the sun

2nd ALBUM  HORIZON~millennium album&singles~

HORIZON~millennium album&singles~

The gardensとは

さてずいぶん待ち望んだガーデンズのサブスク解禁なぜ今までそうならなかったかは色々大人の事情があるのでしょうからそこは置いておいて
ガーデンズとはSPEEDのプロデューサー伊秩弘将さんのプライベートプロジェクトとしてボーカリストにすでにデビューしていたJUNKOを迎え私がサウンドプロデューサーとして約2年半?の短い活動期間ですがアルバム2枚シングル9枚という作品を残しました。そもそも伊秩さんとの繋がりは伊秩さんが楽曲提供していたアーティストのアレンジをしたことで呼ばれたと聞いています、ガーデンズのコンセプト(実際に言葉で聞いたわけではないが)伊秩さんの濃い目のメロディ+歌詞にわりとハードなロックテイストなサウンドをベースに毎回様々な要素を加えるという感じにいつしかなって行ったと記憶しています。 

伊秩さんとの曲打ち合わせ

伊秩さんとの打ち合わせはカセットにふき込んだ激しいピアノとロックテイストの伊秩さんの仮歌のデモを一回聞いて「いつものKGの感じで!」でおしまい、まあ音にしなきゃわからないのでまずはアレンジデモを仕上げるのです、90年代後半なのでソフトシンセがあるわけではないのですべてのパートをハードウェアシンセをミキサーにまとめてDATに録音して聞かせるわけです、そこでフィードバックを聞いて修正する感じだったと記憶しています。確か大きく違って一からやり直したというのはなかったです一番気にしていたのでは二郎系のような伊秩さんのメロディー負けないようなアレンジを毎回叩き出さなきゃというプレッシャーがありました、なんらかのタイアップは付いていましたしそんな必要はないですがどこかSPEEDに対して意識していたというのもあるかも知れません、ただ当時はSNSは皆無なのでいやな情報が耳に入ることなく自分と向き合えば良かったという時代ではあります、さて短い期間ながら3ヶ月に1枚のシングルをリリースしていたので年を通していつも作っていたような気がします、なので今聞いても記憶にない所が今でも新鮮に聞ける理由でしょうか

制作秘話

そしてガーデンズの制作において初めて導入したのがPro Toolsです、つまりDAW環境の中にオーディオを自由自在に取り入れるということですね、当時私はMOTU Digital Performerを使用していてハードウェアをDAE経由で使っていたとうことになりますそれによってガーデンズでは重要な位置をしめるギターパートをオーディオとしてアレンジに反映することができ録音した後にもアレンジの微調整が可能になったわけです、そしてそのオーディオにプラグインやカットアップ処理をして本チャンまでのトラックを作っていきました、このテクノロジーがなかったらガーデンズの楽曲バリエーションはなかったかも知れません

田辺恵二の私見

ここからは私見ですがポップなメロディにわりとハードロック的な変な言い方するとボーカルJUNKOの歌声をかき消すようなサウンドをぶつけっていったきがします、90年当時といえば歌声に合わせたアレンジはセオリーでしたし、万が一ぶつけていくようなサウンド場合はミックス時に歌のバランスがめちゃデカいというのが常識でしたのでガーデンズのようなサウンドは珍しかったのではないかと思います、そしてハードロックをベースとしながら当時のトレンドやかつての名曲を意識したサウンドがガーデンズのトレードマークになっていったのかもしれません、わりと参考にしたのはやはりレッド・ツェッペリンが多かったように記憶しています、まあ一聴してわかる感じですけどね・・・私がUSよりUKサウンドが好きというのもあるし、日本語とのマッチングも良さげかな?という感じです

最後に

シングル9枚 アルバム2枚 2年半の間で活動を休止したガーデンズですがその2年半ずっと制作をし続けたと前述しましたが90年終わりのCD爆売れ状態の音楽業界というタイミングにデビューアルバム30万枚程度では話題にもならなかったのは残念で仕方がないです・・・今だったら大ヒットですもんね!そしてもう一つ悔いがあるとしたらせめて一回でもライブやりたかったというのはあります、この時期私はゴスペラーズや及川光博の楽曲制作に携わっていたのもあってバンマス(ライブのバンドアレンジや音楽面の仕切りをする人)をしていたのでCD音源になったものをライブで再現するのに慣れていたのでタイミング的にはよかったですがそもそもガーデンズ自体がプロジェクトユニットというのもあってまずは音源で、というのがあったのでしょう、まあ当時は私は30歳前後まだまだ業界の細かい仕組みや慣例には無頓着(制作するので精一杯)だったのでそんな考えや発言するという発想に至らなかったのかもしれません、まあいつか、いつかできたらいいですね


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