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(43)私たちに合った夫婦のカタチと新たなスタート

先月末、初めて夫から話し合いを切り出してきた。
逃げたり自暴自棄になるのではなく、話し合いをしようという方法を選択できるようになったことが嬉しかった。
その話し合いの後、私の中で変化が生じ、スッキリした感覚があった。

マルトリートメントが引き金となり作り出された夫の人格も、ある意味、一種の個性であって、治すとかいうものではないのかなって思った。
ある程度、暴走を抑えることは、本人にとっても必要なことだけど、そのままの夫を受け入れ、私たちらしい私たちだけの夫婦のカタチを見つけていくことが正解なんじゃないかって思った。

最近、LGBTQとか多様性の受け入れとか話題になってて、「自分には関係ない」とか、どこか他人事みたいに思っちゃうところがあるけど、カップルにしても夫婦にしても家族にしても、身内とはいっても自分とは異なる他人だし、その時点で多様性の受け入れという概念が当てはまるものだとも思った。

夫の中にある価値観は、私の価値観だけではなく、一般的と言われている価値観や倫理観からも激しくかけ離れていることは事実。
夫自身もそのことはしっかり自覚していて、思っていた以上に多くの本を読んでいた。何で自分は一般的な感覚を持ち得ないのか、何で自分は周りと同じように感じられないのか。そのことで今も昔もずっとずっと悩み苦しんできた。
不倫についても、色々な本を読んでいた。不倫された側の気持ちも理解できなくはないし、自分がもし不倫されたら、どう思うかも考えたらしい。イライラはするかもしれないけど、不倫が何でいけないのか、根本的には理解ができないと夫は言った。
夫にとっては、「やることはしっかりやってるんだからいいじゃん」という感覚なんだと思う。
昔、「学年1位はキープするから、スカート短くするくらいいいじゃん」と思っていた私自身の感覚と同じようなものなのかも。

夫は、家族のことを一番大事に思っているからこそ、大事にしたいけど、自分の頭と心がかみ合わず、色々挑戦して取り入れてきたけど、無理しすぎると爆発し、自己嫌悪に陥ることを繰り返しているという。
夫は、それならもう無理はしない方がいいのではないかと思ったらしい。
開き直りとも受け取れるけど、夫の状況をよく知る私自身も、それが正解な気がした。
その代わり、夫は、外で子供を作るとか家族を捨てるとか経済的に苦労させることだけは絶対にしないと言った。あくまでも、ストレス発散であって、そこに何か将来を求めたりしているものではないと。

夫自ら話し合いの機会を設け、ありのままの自分の状況を話してくれたことは、本当に大きな変化だと思う。
夫を見ていると、正直、本能のままに何も考えず、無情な言動をしていると思うこともあったが、私だけではなく夫も、どうにか家族としてやっていける方法を模索していたことは再度確認できた。

私は、あまり周りの目は気にせず、自分の価値観や判断基準で選択し、物事を進めていると思っていた。でも、家族はこうあるべき、夫婦はこうあるべき、これはいけないこと、というような固定概念が、産後はより大きなものとなっていたことに気づいた。子供という守るべきものが生まれ、保守的になったからかもしれないが。

もちろん受け入れることは楽なことじゃない。
私の中での割り切りは必要。
朝帰りされるとやっぱり嫌な気持ちを抱かずにはいられない。
でも変に嘘をつかれるよりは、何だかちょっとスッキリ感はある。

産後、夫や息子のことばかりで、私自身がやりたいこと、欲しいものは後回しになっていた。それが普通だったし、特にそこまでそれに対して不満を感じてはいなかったけど、ちょっと非現実的かもしれないくらいの目標を持った方が、毎日楽しく過ごせるかもと思った。
私自身の興味関心が、家族だけに向いてしまっていることのは、これで不健全だし、重たいよなとも思うから、10月から行動を開始した。

日々のアップダウンはあれど、私は今妄想してる目標を実現するために、そこを目指して突き進もう。


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