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人と比べるときしんどくなる。隣の芝生はよく青く見えるものだ。

何かと人や架空の何かや普通とか常識とかと比べてしんどくなることがある。
そもそも人間は比べる生き物らしい。
確かに日常で言うと、何かを買うときどちらを選ぶか考えているときに必ず比較している。
例えばバナナを選ぶときに、どれが綺麗か見比べて購入するバナナを選ぶといった感じ。
でも、バナナが熟している方がいいと手に取る人もいれば、まだ青っぽさがあるバナナを選ぶ人もいる。
その背景は、好みもあれば使う用途によって変えている場合もある。
結局、好みや使う用途=価値基準なのかもしれないなぁと思う。
自分なりの価値観があって、大切にしていることを認識できているとき、ポジティブな比較が多い。

例:あの人は目の前のことをコツコツとこなすタイプだけど、私は全体を見通して考えることができるんだな。それは私は色々な背景を想像して考えるのが好きだし大切にしたいことだからだ。

逆に自分の価値観にブレがあったり、自己肯定感が下がっている時は、比較と同時に嫉妬や怒りなどが生まれてくる。

例:あの人は目の前のことしか見えてない言動ばかりで周りが気遣っていることも気づいてない。私はこんなに色々と考えて言葉を選んでいるのに、気づかないし偉そうだ。

結局のところ”人との違い”なだけなんだけど、比較して何かを見たり捉えたりするときに自分の価値基準にモヤがかかると(自分もしくは周りへ)批判的だったり否定的になる。
そのモヤは、疲れや余裕のなさやバウンダリーの曖昧さや感情が揺れていたりと自己肯定感が揺らいでいる時が多いように思う。

なのでバナナを選ぶときは、どんな目的があるかなぜ欲しいのか(=自分の価値基準)をくっきり見えるように一度立ち止まるのがいいんだろうと思う。
私はよく「自分の足元を確認する」という言葉で意識するようにしている。

でも日常の疲れから、自分の足元が曇って見えなくなることがよくあるので、それも良しとして、ここぞというときに確認できたらいいのではないかなと思っている。

比べるのは、もうすでに人間に備わっている機能なので
比べないようにするのではなく
ネガティブに比べるときがあることと
ポジティブに比べれるときもあること
それを理解しておけばいい

まとまりないけど、内省録の第一歩。
つらつら書いていけたらなと思います🍀


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