『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』と『リトルマーメイド』における黒人役者起用~ポリティカル・コレクトネスの問題と海外の反応~
こんにちは。来殿ベルです。
AmazonPrime限定で、『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』の配信が開始されました。
しかし、原作設定を無視した「肌の黒いエルフ」の登場により、一部では「ポリコレによる原作の破壊である」として大きく批判されています。
もちろん、気にならない人は気にならないでしょうし、制作側も映像化の権利は合法的に取得しているので、外部から言えるのはあくまで個人の感想に留まります。
『力の指輪』の問題点は上のnoteで書かれているので、本記事では最近発表されたディズニーの『リトルマーメイド実写版』を主に扱い、それからポリティカル・コレクトネスに対する私の思いを書いてみたいと思います。
『リトルマーメイド実写版』の期待と裏切り
私のいまのフォロワー様まわりには、ディズニーに詳しい方はほとんどいらっしゃらないと思います。
「表現の自由界隈」と呼ばれるところもそうですが、私自身、アニメ・マンガ、そしてライトベルファンとしての発信を行ってきました。
ですが、私はディズニー狂でもあります。
『リトルマーメイド』も大好きな作品で、実写化が発表された時からとても楽しみにしていました。
最初に発表された時の監督はソフィア・コッポラ氏で、彼女の作品はいつもおしゃれで女子から絶大な人気を誇ることもあって盛り上がりました。しかし、残念ながら途中で降板することになります。
監督がレベッカ・トーマスに変更になりましたが、主演女優はクロエ・グレース・モレッツ氏でした。
ですが、さまざまな事情(特にクロエ氏の休業宣言)があり、主演女優はハリー・ベイリー氏に、監督もロブ・マーシャル氏に変更になりました。
こうした一連の変更はファンを非常にがっかりさせるものでした。
この「がっかり度」をアニメファンの皆さんに分かりやすく言うなら、そうですね――「けものフレンズ2の主役がかばんちゃんとサーバルちゃんではなくなり、たつき監督でもなくなった」くらいでしょうか?
そうしてファンががっかりしていると、ポリティカル・コレクトネスを肯定的に評価する人たちは「黒いアリエルを認められないのは、人種差別主義だ!」という声をあげました。
Redditから一部を翻訳してお伝えします。
(私は英語力にそれほど自信がないので、拙訳に不安を覚える方は出典URLから原文を読んで下さい。)
もちろん、ディズニー公式の決定ですし、もともとディズニーのものである『リトルマーメイド』を、実写化に際してどのように変更しようと、自由といえば自由です。
また、『リトルマーメイド』は、アンデルセンの『人魚姫』(1837年)が下敷きになっていますが、ディズニーがアニメにするにあたって、「アンデルセンの原作設定」を忠実になぞったかといえばそうではありません。
こうした理屈は、少なくとも表面的には筋が通っているように感じられます。
しかし、実はポリティカル・コレクトネスを叫んできた人たちに、このような言い返しをする権利はありません。
ホワイトウォッシング批判はどうしたのですか?
ポリティカル・コレクトネスを唱えてきた人たちは、映画に代表される創作物表現について「非白人の役を白人が演じること」(Whitewashing)を痛烈に非難してきました。
例えば、2013年の映画『ローン・レンジャー』では、ネイティブアメリカンの役を白人男性であるジョニー・デップ氏が演じたことで、厳しい攻撃に晒されました。
また、『ピーターパン』の実写化にあたる『PAN:ネバーランド、夢のはじまり』でも、同様にネイティブアメリカン設定のタイガー・リリーを白人女性のルーニー・マーラが演じたことが大きな問題となりました。
後者については、「有色人種役に白人俳優を起用するのはやめろ!」(Stop Casting White Actors to Play People of Color!)と題したオンライン署名が95,000筆を超える署名を集め、ワーナーブラザーズに送付されました。
アメリカのメディア監視団体は、「俳優の経歴と役柄をできるだけ一致させよ」と要求し、他にも『エクソダス:神と王』や『アロハ』、『プリンス・オブ・ペルシャ:時間の砂』もホワイトウォッシングだとして非難しました。
イギリスBBCも、「映画業界におけるこのようなホワイトウォッシングは差別問題である」という旨で強く非難する記事を公開していました。
When white actors play other races(BBC News, 2015)
この記事では、「観客は今、より本物らしさを求めている」として、「ネイティブ・アメリカンがネイティブ・アメリカンの役を演じるべきだ」と主張されています。また、「人種ではなく、演技力やキャラクターとの相性で白人を選んだ」という話も、よくある言い訳だと一蹴しているようです。
では、ここでもう一度、Redditから引用した文章を思い出してみましょう。
『ピーターパン』もおとぎ話です。正確さがどうでも良いのなら、どうして白人が演じてはいけなかったのですか?
ホワイトウォッシング批判では、ものすごく架空の人物の民族的背景にこだわりましたよね?
「架空の人物の民族的背景にこだわる人」=「差別主義者」であるならば、ざっと95,000人ほど差別主義者の自白署名をした方々がいらっしゃることになりますね。
では、せめてBBCくらいは『リトルマーメイド』におけるブラックウォッシングに反対したのかというと、そうではありません。BBCもハリー・ベイリーがアリエル役に抜擢されたことを報じているのですが、なぜか完全に祝福ムードです。
もう一度、「ホワイトウォッシング」に対する批判記事を見てみれば、事の異常さが分かると思います。
When white actors play other races(BBC News, 2015)
ポリティカル・コレクトネスという混沌
ポリティカル・コレクトネスが作り上げる理屈は、結局のところ、整合性のないその場しのぎのものばかりです。
『PAN』と『リトルマーメイド』を別件として見れば、それぞれ単独では意見としての筋は通っています。
「キャラクター設定に合った民族的背景・人種の役者がそれを演じるべきだ」――ええ、意見は分かります。そうなのかもしれません。
「キャラクター設定に関わらず、実力のある役者がそれを演じればいい。大事なのは物語で、人種は関係ない」――はい。こちらも意見は分かります。そうなのかもしれません。
私はどちらの立場にも理解は示せます。みんなが同じ意見を持つ必要はないでしょうし、多様な観点があった方がいいでしょう。
しかし、この2つの意見を同時に持つことは不可能です。
このようなダブルスタンダードを抱えているものについては、私は「尊重すべき意見」とはみなせません。
そもそも、黒人のプリンセスが良いのであれば、同じくディズニーアニメの『プリンセスと魔法のキス』を実写映画化すれば良かったのではないでしょうか? あえて『リトルマーメイド』をブラックウォッシングする必要ってありました?
『プリンセスと魔法のキス』のヒロインであるティアナを実写映画化するときに白人女優が起用されたら、私は「アリエル役に黒人は変だ」と言うのと同じく、「ティアナ役に白人は変だ」と言うでしょう。
この「変だ」という指摘が人種差別でないことは明白です。「黒人なんて見たくない」と主張しているのではないのです。アリエル役としてはおかしいという話です。
また、今回たまたま肌の色≒人種が問題でしたが、これは本質的な問題ではなく、キャラクターイメージに合っているかどうかが重要だと思います。
筋肉質なキャラクターは、やはり筋肉質な人が演じた方が適切でしょうし、逆に「太っちょ」のキャラクターは、太った人が演じた方が適切でしょう。『ポカホンタス』にしても、もし実写映画化されるなら、「インディアンかどうか」ではなく、キャラクターイメージを忠実に出せる役者が私にとっては望ましく思います。
以上となります。
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