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春の始まりの頃

「ばあちゃんが、ちょっと危ないんだよね」
弟からそうメッセージが来た時、驚いてすぐに電話をかけた。

今年は暖冬で、我が家の梅の開花が異様に早かった。
「こんなに早く咲いてしまったら、4月の入園式には、何の花が咲いているのかなー」なんて思うぐらいに。
ばあちゃんの知らせを受けたのは、そんな風に梅の開花が始まった頃だった。


「昨日、叔父さんと叔母さんと一緒に話を聞いてきた」
電話口で弟はそう言った。

祖母は、数年前から施設に入居しており、私の母が亡くなってからは、弟が祖母の施設とのやり取りをしている。

「寝たきりになってしまい、熱も乱高下が続き、食欲もない」
ということで、延命治療を望むのか、治療はするのか、施設で看取るのか。具体的な話をしてきたという。

いや、まじか。
祖母は認知症ではあったものの、体は元気でなんと、持病はなし。少し前までは、元気に歩いていたのだけれど、徐々に弱り始め、車いすでの生活になった。そして、更に弱ってきているという。

実家が遠方にあると、こういう時判断に迷う。

打算的になってしまうけれど、色々と考えてしまう。どれぐらい急を要するのかとか、もしかしてもう間に合わないなら、帰らない方が……とか。

「ひとまず、延命はしない方向だよ。叔父さんと叔母さんの見立てでは、1~2か月は大丈夫かなって感じかなって言ってたけど、どうなるかわかんないしさ」
弟の言葉にうなずく。わかっている。大丈夫でも急変することもあるし、予定を大きく超えて大丈夫なこともある。

帰省するとなると、子どもや仕事のことの調整も必要になる。すぐには動けない。
それでも、出来れば、元気なうちに一度顔を見ておきたい。

「まぁ、でも。出来れば、早い方がいいよね」

そうだよね。早い方がいい。
もろもろの調整をつけ、私は実家へと向かった。


「あ、今日は調子いいですね。目を開けています」
施設で出会った祖母は、ねたきりだった。それでも、私たちが行くと、きょろきょろと顔を動かし、様子を伺い、両方の手を差し出し、触れようとする。
「お孫さんが来ると、調子がいいですよね。私が来ると、いつも寝ていますよ」
案内してくれた事務員さんはそう言った。

弟は二週間おきに、この施設を訪れている。孫としてこの頻度の訪問は、かなり多い方ではないだろうかと私は思っている。認知症が進み、誰のことももう分からないのだけれど、弟のことだけはなんとなく判別できているようだ。

「ばあちゃん、元気か?」
弟が話しかける。

弟のすごいところは、こういうところだと思う。認知症が進んでいて、寝たきりの祖母にもいつもと変わらずに話しかける。
母が闘病している時も、同じく、いつもと同じように話しかけていた。なんなら、トイレに行けない時は付き添っていたし、介護も当たり前のようにしていた。
「どう接していいか悩む」時だって、特に態度を変えることなく、当たり前のように接する。それって、あまり出来ることではないよなって、思う。

祖母は私たちがいる間中、顔をきょろきょろと動かし、両手も何かを探るように動かしていた。手を触ると振り払い、反応していた。

「まぁ、まだ大丈夫っしょ。心電図が出てないし。酸素も鼻からだし」
弟の言葉に、母が入院中の時に親戚の誰かが言っていた言葉を思い出した。その親戚曰く「いよいよになったら、心電図が付けれられるから。それが出てくるまではまだまだ大丈夫だ」ということらしい。そして、酸素マスクも口を覆うものになるらしい。

部屋には演歌が流れている。何か刺激がある方がよいから流しているのかな、と推測する。

祖母はずっと生きているような気がしていた。
そんなはずはないと分かっているけれど、でも、いつかそんな日が来るなんて、信じられない。そして、そう遠くはない、なんて。

何も食べられず点滴で生きている祖母。
寝たきりでいる祖母。

それでも、施設の人は暖かく、優しく、丁寧に介護をしてくれる。床ずれが出来ないように、便がきちんと排出するように、苦しくないように、痛くないように……。

なんと幸せなのだろうと思う。


祖母は、自分勝手で少々破天荒な人物だと私は思っている。
その祖母から学んだ教訓はいくつかある。

食事は制限する方が健康にいいということ。テレビに依存して、考えることを放棄してはならないこと。孤独を恐れないこと。結婚相手は大事だということ。

でも、一番の学びは「自分勝手に好きに生きた方がいい」ということだ。

好きに生きるということは、孤独を恐れないということでもある。
誰かから批判されたり、嫌われたりすることがあっても、自分が望むように好き勝手生きるほうが、結局幸せなんだなと、祖母を見ていると思うのだ。

祖母は「88歳より長生きする」と言っていた通り、現在92歳になっている。
そして、とても幸せに過ごしている。

「ばあちゃん、そろそろ行くね。……またね」
私はそう言い、祖母の手を触る。
すぐに祖母は手を振り払い、顔をきょろきょろと振る。
祖母は触られるのが昔から嫌いだ。点滴などまとわりつくものも嫌いで、全部引きちぎってしまうという癖がある。だからなのか、今も足から点滴が刺されている。

いつでも会えると思っていたけれど、もう会えないかもしれないんだ……。
食事は食べられなくて点滴をしていて、おなかの調子も悪くて座薬を入れていて、自分で歩くこともできない。明らかに弱っていっているのに、どうしてだろう。祖母の近くに死が近づいていることが、まだよく理解できない。


「もう一回来れるとよいね」
施設を後にし、弟に駅まで送ってもらう。駅について、シートベルトを外していると弟がそう言った。
そして、続けて、
「今回は、ばあちゃんだから、頻繁には帰れないだろうけどさ」
とも。

確実に死へと向かっているであろう、祖母。
それでも、私には私の役割があり、いるべき場所があって、何度も会いに来れるわけではない。それでも、また会いたいと思う。

「そうだね。また来るね」
そう言って、私は車を降りた。

梅の花の匂いが、鼻をかすめる。梅の花がまだ咲いている。
今年は梅の開花が早かったけれど、咲いている期間も長かったように思う。
それでも、季節は確かに進んでいる。
もう、春になる。


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