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「これ、私のことだ……」

本を読んだり音楽を聴いているときに、そう感じて感動することがあるという。
「私が言いたかったことを言葉にしてくれている」「私の気持ちを代弁してくれている」と感じ、感動することが。

その話を聞いて、私は不思議に思った。

いやいや、そんな経験あります?? だって、私は私で、それを書いたり作ったりした人とは別の人間だよね?? 「私のことだ」って、そんなこと思います?? と。

私は「私のことだ……」と思って感動した経験がたぶん、ない。

もしかしたらあるのかもしれないけれど、少なくても今は、思い出せない。

「もしかして、私って共感性が低いのかな?」
自分では今まで割と共感性はある方だと思っていたけれど、共感性が低いから、その言葉に共感出来ず、出会えないのかもしれない。

でも、「私のことだ……」と思ったことはないけれど、「わかる」と思うことはよくある。

「分かる」には2種類あって、1つ目は「自分も同じような気持ちになったことあるよー。わかる」というもの。2つ目は「自分がその立場だったらそう思うかも……わかる」というものだ。
その気持ちを「分かる」と考えること自体、割と共感性は低くはないはず……。
ではなぜ、私は「私のことだ……」と思う言葉に出会えないだろう。


そう考えていたある日、突然「これ、私のことだ……」と思う文章に出会った。

鏡リュウジさんと角田光代さん著の「12星座の恋物語」という本の中にそれはあった。

この本には、角田さんの書く12星座の男女それぞれの恋物語の短編と、鏡さんによる12星座の男女の占星術の解説が載っている。12星座それぞれの個性が出ていて、読んでいてとても面白い本だった。そして、読み進める途中、ふいにその瞬間はやってきた。

私はギリシャに行ったこともない。結婚とかまっとうなことを思いつけないくらい、好きになった人もいない。結婚の3日前まで他の男の人と会っていたなんてこともない。

それでも、「これは、私だ……」と思った。

「分かる」のではなく「これは、私だ……」と。
読み進めていくうちに、静かに心を揺さぶられて、気付けば涙が出ていた。

あぁ、紛れもなく、これは私だ……。
それ以外の言葉は思いつかなかった。

そして分かった。
「私のことだ」と思うのは、自分にとって「特別な気持ち」を表現してくれているものに、出会ったからではないだろうか。
誰にも話していないし、一生誰にも言うつもりはない。そして、今まで誰も自分に教えてもくれなかった。そんな気持ちを表現している文章に出会う時、「私のことだ……」と思うのではないか、と。

だから、「自分の感情を大事にしている人」ほど、「私のことだ……」と思う出会いは多いのではないだろうか? 

そう思うと私は、自分のことがあまり好きではないし、自分の感情というものが苦手でもある。だから、きっと「私のことだ」と思うことが少ないのではないだろうか、と仮説を立ててみた。

この先いくつの「私のことだ」に出会えるだろうか。

出来るなら、私が誰かの「これ、私のことだ……」を書ける人になりたいな。


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