堕落論(坂口安吾)が、小説??

現在 私は

激しく怒っている

これを

少し前は

ゲキオコぷんぷん丸というと

高校生に教わったが

言葉のはやりすたりは

矢の如し

今では

死語だろう。

そんなことはどうでもよい。

図書館システムで書誌の分類を

決めている方にお尋ね申す。


堕落論 (スラよみ!現代語訳名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
1,283〜4,901円


堕落論 (角川文庫)
Amazon(アマゾン)
1〜3,333円

違いはなんですか?

スラよみ!現代語訳名作シリーズ

の中の1冊

だらくろん

だよね。

名作シリーズで読ませたいの?

巻冊記号もふって

名作シリーズで1から読みましょう。って

それで913.6なの?

913は小説

角川文庫「堕落論」は

914

914は随筆 エッセイ

ね、どっち?

坂口安吾の堕落論は小説なの?随筆なの?

一つの図書館において

同タイトルの本が

913と914って

変だよ。変でしょ?

100歩譲って

公共図書館ならばそうしたらよいよ。

だって 公共図書館の

設置目的の一番は

「知る権利」を守る事。


でも

学校図書館で排架する時は

正しく分類。

堕落論は小説913ですか?

no!no!no!

堕落論は随筆914でしょう?

私の知らないうちに小説に、なったの?


シリーズで排架する意味を問う。

シリーズで排架するものは

総合百科事典ポプラディア ( 0類で!)


総合百科事典ポプラディア 新訂版
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70,000〜136,239円


同じポプラディアでも「世界の国々」は 2類へ!


ポプラディア プラス 世界の国々(全5巻)
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41,000〜76,530円


スラよみ!現代語訳名作シリーズはばらばらで!

スラよみ!現代語訳シリーズ他のタイトルは


山月記 (スラ読み! 現代語訳名作シリーズ)
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674〜4,500円

蟹工船 (スラよみ!現代語訳名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
9〜6,715円


Amazonでは

この2冊に加え「堕落論」だけが

シリーズを解いて買えるようだが

あと

『羅城門』芥川龍之介と

『高野聖』泉鏡花 がある。

しかし

Amazonでは出てこない。

また別の名作シリーズがあったが


現代語で読むたけくらべ (現代語で読む名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
976〜4,995円

現代語で読む野菊の墓 (現代語で読む名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
628〜4,004円

現代語で読む坊っちゃん (現代語で読む名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
476〜4,136円

現代語で読む 舞姫 (現代語で読む名作シリーズ)
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410〜4,004円

現代語で読む生まれ出づる悩み (現代語で読む名作シリーズ)
Amazon(アマゾン)
25〜4,004円


これらの排架は

学校図書館では別々に 排架を願う。

なぜって?

この本が出版された理由は?

「古典名作を

現代語に訳して

ひとりでも多くの若い読者に

読んで欲しい!」から。

だったらシリーズで並べるよりは

その作家の作品群へ

いっしょに並べたほうが

手に取り易いじゃないのさ。

なぜって?

読みたいと思った人が

その人の力量で

どの書き方ならば読めるか

本人が選べるから。

これってどういうことか分かるかな

たとえば

東京から大阪へ出かけると言う目的に対し

徒歩(歴史的仮名遣いで書かれている本)

東海道線,JRバス(乗り換えあり含む)(単に歴史的仮名遣いを直しただけ)

東海道線,JRバス(乗り換えなし(歴史的仮名遣いを直し語注釈つき)

ヒッチハイク 途中いろんな本を読んでしまいなかなか到着しない?

(同時に数冊読み進めていくかんじか)

新幹線(スラよみ!名作シリーズ等現代語となり分かり少なっている本や、漫画化されている)

東京から大阪へいく=堕落論を完読する という目的は一つ


到達する手段はいろいろ 自分で選ぶ。

という感じ。

この選択が可能な書棚が

学校図書館であってほしい。

少なくとも

私が学校司書としている図書館では

読者の読みかたが選べる。

「どんなやりかただっていいじゃあないかと

図書館システムで検索した時

どの図書館を利用しても確実にその本に辿り着けたら。」

確かに。

でもね、

同じ文学でも 種類が違うのは

あきらかでしょう?


堕落論は

小説ですか? 随筆ですか?

なぜシリーズにこだわり排架するのですか?


学校図書館は

誰のための図書館ですか?

何のための図書館ですか?

学校の生徒の読む力は 均一ではない。

その子の今持っている力で

読めることがまずは大事だと

私は考えている。

だから

そのまま

図書館システムを信じた分類は

学校司書の仕事を

自ら放棄するのと等しい。

学校司書の仕事は

AIにとってかわれる仕事ではない。


もっと 図書館システムを うたがえ。



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