第36話:夜の定食屋

閉館前

アーケードに向かって

お辞儀を繰り返す、あの

あれ、あの儀式

なくなるかもしれないよ

社長にいわれた

夜の定食屋は

社長には

あまり

似合わない

社長の

手首の銀の時計

右手でくるくる

動かして

触る、その手と

竹箸を持つ手が

同じ手だということを

たった今、この

夜の定食屋で

知ってしまった

そういえば、

お彼岸の発注さ、

社長が水を飲むと

蝉が一匹ずつ

静かに死んでいくような

心地が

かすかに

湧いてくる

菊、あんまり入れないでね

虫がわくし、あとあれ

水が臭くなるでしょう

社長、社長、きましたよ

とんかつ定食が

きました

ソースを

たらす間

空蝉が

風に飛ばされ

どこかで踏まれて

いたりする

あの、お辞儀、

やめたら

誰がするんですか

もう誰も

お辞儀なんて

しないよ

お客が嫌がるんだって

アーケードを

歩いているだけで

お辞儀されるの

いや、じゃない?

アーケードが

閉館する

五分前に

アーケードに向かって

お辞儀をするひとも

されるひとも

もう

どちらも

いやになった

きみだって

いやでしょう?

社長は左利きだったんですね

社長が

ふと顔をあげて

視線を向けた

その手

社長は

口を動かしながら

竹箸をもつその

自分の手を

じっとみつめた

知らなかった

社長はその手を

みつめることが

できるの

だった

ここが

夜の定食屋

蝉の声がする









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