第35話:コスモスとグラウンドピアノ

市民会館の

大ホールに

真っ黒な

グラウンドピアノを

見たのは

コスモスを生ける前の

まだ静かなときだった

舞台に立つと

鍵盤と

木目板の

香りが

通り抜けては

また香った

舞台の中央の

一角に

新聞紙を並べて

コスモスの束を

置いた

コスモスを

手に取ると

少し湿った

ほっそりとした葉が

さわさわと

ゆれた

リハーサルの

こどもたちが

やってきた

ひとりひとり

順番に

グラウンドピアノに

触れて

音を

たしかめた

それから

順番に

発表曲を

思い出すように

弾いた

わたしは横で

コスモスを

生けた

生徒たちは

指先に集中した

わたしは

コスモスの

葉の、花の

きれいなところを

整えた

先生が舞台の袖に

生徒を集めた

生徒は五、六人

先生ひとりの

ピアノ教室だった

気を付ける箇所

慌てないでゆっくり弾く箇所

途中で止まっても

焦らないでいい箇所

ひとりひとりに

言葉と手で

伝えた

しっかり弾いてきなさい

たのしんで弾いてきなさい

生徒の背中をさすったり

手を握ったりもしていた

コスモスが

大きな花瓶の中で

なびいていく

さいごに

少し余ったコスモスを

小さく束ねて

舞台の袖の

鏡台の横に

飾った

舞台を降りると

リハーサルを終えた

こどもたちが

観客席で

笑い合っているのが

見えた

発表会がはじまる


それからというもの

わたしのコスモスは

いつも決まって

グラウンドピアノの横で

ゆれているのだ
















グランドピアノを

横目に

コスモスの

ゆるやかなうねりを

整えていった

知らない土地で

まったく別の誰かになって

舞台の上に

コスモスと

置いていかれたような

しあわせともいえる

時間だった













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