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省略の作法

 この記事を書こうと思うきっかけとなった先日のエピソードと、自分の中にあったけど形にしていなかった教育論を綴っていきます。


ファミリーレストランでの数学の授業

 先日、中山きんに君さんを思い出すことで正式名称が分かりやすくなる某ファミリーレストランにて、昼食がてら原稿を書き進めていたときのことです。隣から「3√18×6=18√3だよね?」「……うん。あってる、あってる」という男の子同士の会話が聞こえてきました。
 私がその検算に時間を要したのは、教育の現場から離れて何年も経つため暗算能力が衰えているだけではありません。その直前に彼らがしていたやり取りから彼らが私立中学に通う優秀な生徒であることが分かり、そんな少年が2人ともそろって誤った回答へ行き着くことが信じられず、たいへん慎重になって計算していたためでもあるのです。

店名の最後が「ア」か「ヤ」か迷ったら中山きんに君の「ヤー!」を思い出しましょう。

「……計算違わない?」
つい口を挟んでしまいました。
 少年たちからしたらビックリでしょう。隣でデザートをやたらゆっくり食べる男が話しかけてきたのです。
 ただ、聞いてみましたところ、老いによってか私が彼らの式の読み上げを一部聞き漏らしており、本当は『 3√18×√6=18√3 』で彼らが正しかったのです。

 彼らの手を止めさせてしまったことを謝って食事に戻ったのですが、元気な少年の声は耳をそばだてなくともよく入ってきます。

「え。答え全然違うんだけど」
「この形じゃあ合ってるかどうかも分かんないじゃん」


おれぁおせっかい焼きの元塾講師

 自分が不審者として通報される可能性も考えつつ、近くでワイワイされるこの場所では原稿に集中できないだろう実感もあり、チョイと話して店を出ようと思ったのです。そうして掛けた言葉がコレ。

「どれよ?さっきの聞き違いのお詫びに見てあげるよ」

 少年たちは半信半疑の目でこちらを見ます。そりゃあそうだ。さっき盛大に間違っているし、面識の無い男が相手ですもの。
 しかし、模範解答と自分の回答を見比べていた少年がノートを差し出しました。
「これなんですけど」

 ふむ、と私はそれに目を通します。字はきれいで、式の書き方もまっすぐ。育ちの良さがうかがえます。問題は2次関数の変化の割合で、変化量の項目に平方根が含まれていました。

「はいはい。これね。解き方が3つ、グラフを考えるのと、計算で進むの、そして計算で進むなら先に有理化するのと先に分母を払うの、があるんだけど、ドレが好み?」 

 3秒ほどでノートから目を上げたオッサンが始めた回答方針の提案に、少年たちの目つきが変わります。
(なんだこの人……?)
中学数学の応用問題に対し、パッと道筋を示す一般人がいるとは思わなかったのでしょう。それに自分たちのやっている問題が高レベルであるという認識も拍車をかけているはずです。まあ、成人すれば傲りとも呼べてしまうそれは、中学生に必要な成分であると私は思うので、「で、ドレが好み?」と眉を片方だけ上げた顔で選択を促したのでした。

 彼の選択に合わせて回答手順に沿った式を書きながら、それまでの彼らの会話を聞いて気になっていた点、そしてノートを見て確信した懸念点を解決すべく、雑談に見せかけた情報収集を行います。

「何か好きなスポーツとかある?」
「サッカー好きです!」
「いいね。じゃあ……僕の歳が歳だから興味無いかもしれないけど……最近選手を引退した長谷部誠って知ってる?」
「知ってます知ってます!」
その食いつき方に、かなり腰の入ったサッカー小僧だな、と分析。
「『40歳に迫る長谷部をなぜ起用するのか?』って記者に質問されたフランクフルト監督の回答の話って知ってる?」
ここでまた少年の目が変わります。
(この人サッカーにも詳しいのか?)
「聞いたことがあります。『若い選手の方が身体能力は高いけど、長谷部がいると他の選手の能力が引き出される』でしたっけ?」
「そうそう。『スタメン選手の能力を100とすると、老いている長谷部の身体能力は80しか無い。けれども長谷部がいることで他の選手が5%ずつ能力が上がる。だから彼がいるとチームの力は、彼の分で-20、彼が引き出す分で+50、合計で+30されるんだ』みたいなやつ」
私がこの話を読んだのは2022年のスポーツ誌Numberだったかと思いますが、ネット上で公開されている範囲では確認できませんでした。
「その長谷部だけど、どうやって仲間の力を引き出していたか知ってる?」
少年たちは顔を見合わせました。
「知りません」

サッカー選手:長谷部誠

 純粋なスピードというフィジカル面で圧倒的な選手というのは多くありません。ですが効果的に攻撃するには、どこかで相手ディフェンスを置き去りにする必要があります。そこで長谷部選手が行ったのはプレイテンポの向上でした。
 安定して──高い再現性で──精密なパスを味方へ通すためには、①ボールをトラップして、②パス軌道を選定して、③正しいメカニックでボールを蹴る、という手順が必要です。①と②の間には、長谷部選手のような中盤~終盤にポジションを取る選手や、ポストマンと呼ばれるトップ下選手の場合、自陣向きにボールを受けてから敵陣へ向けターンする動作を挟むことが非常に多く、そのタイミングで相手選手と接触することも多くなります。
 その中で長谷部選手は、②のパスターゲット決定を①のトラップ前にあらかじめ行ったり、③のキックの踏み込みを①②間のターンへ組み込んだりして、複数の動作の省略を成功させてパスのテンポを上げ、やたらなプレイスピードで相手ディフェンスを置き去りにし、フリーな仲間を活かしたのです。


あなたの回答、私の回答

 と、いうようなことを話しながら、私は回答例として計算式を書き上げました。
「ほい。君の好みだっていう回答はこんな感じ」
有理化して分母を払い、方程式を解いていく手順を説明すると、少年は自分の回答のどこで誤ったかを認識。パパパッと直してその問題は解決しました。

「ありがとうございます!」
「どういたしまして。ちなみに聞きたいんだけど、なんで僕の書いた回答例で言うココからココまでを自分では書かなかったの?」
計算ミスの発生していた部分を指して質問しました。
「ええっと……」
言い淀む少年。こういう質問をされると怒られているように感じて委縮してしまう子も多いのですが、この子は認識の外側を触れられたみたいで、想定していなかった、といった様子でした。一緒にいるもう1人も、そんなこと初めて聞かれた、といった様子。
 これはデキる子に多いリアクションです。将棋の渡辺明9段が「僕は将棋の天才です」という切り出しの文章で、自分が自然にデキていることを息子ができないことに驚き、どうやったらそれがデキるようになるのか言語化できない(本文中では「才能」の有無に結び付けています)という逸話があり、これもまた同様に自分が無意識にデキていることを言語化できないパターンでしょう。
 間が重くなってはデザートが美味しくなくなるので、私は続けます。
「さっきの長谷部の話でも出したけど、省略ってのはそれがどんなメカニックでデキているのかを知って、自分がなぜそれがデキるのかを把握して、どんな意図で省略するのかを決定してからやらないとバッチリはまらないんだよ。だからしばらくは、僕が書いたみたいにたくさん式を書いていって、その後省略するようにしたら上手くいくよ」

 もしこの記事をあのときの少年たちが読んでいたら、「先生や問題集の模範解答があえて途中式を省略しているのは、解く人の好みで選択肢をチョイスできる部分を固定しないためだよ」というのも知ってもらえると、今後のストレスが減るだろうと思います。
 あのときここまで伝えられなくてゴメンね。

 そんなこんなで解説を終え、自分が作家であることと、数年前まで学習塾の先生をしていたこと(言葉に説得力を持たせるために少しだけ教えていた内容も)を含めた自己紹介をし、私は店を出ました。


省略の目的と作法

 ここからが本記事の本題です。

 今の世には、無意識に省略されているものがたくさんあります。
 通信機器やAIを含むテクノロジー機器の仕組み、税収に支えられた社会保障制度、飲食・交通・物流などの民営インフラetc……
 その仕組みを知っている人や、使いたい人のためにサポートする人も確かにいますが、ほとんどの人はそれらへの参画や学びをお金を払うことで省略しています。

 例を挙げるなら、通信機器の3G、4G、5Gの違いを理解したい人、理解している人はそれぞれどれだけいるでしょうか。年末調整や確定申告を仕組みや手順まで把握して行っている人も多くないでしょう。また数年前までいくらかの弁護士事務所が飯のタネとしていた過払い金還付措置は、多くの人が無意識に省略していた部分を突いていました。
 長年青い鳥がアイコンであった某SNSで時たま話題に上がる「三角関数なんて社会で使わない」といった言説は、「現代人は三角関数を省略して生活できるほどまで科学技術を発展させた」とも言い換えることができるワケです。


省略の目的

 人が持っているものを省略する目的は、基本的に動作の効率化・スピードアップです。
 前章で触れたサッカーの長谷部誠選手のエピソードは、まさに個人の動作を省略してチームの動作をスピードアップさせることが目的でした。

 こういった例は、スポーツ現場で大変多くみられます。
 野球のビッグネームでは、アメリカへ挑戦して打撃フォームを変えた大谷翔平選手やイチロー選手がそうでしょう。両者とも日本では右足を上げてタイミングを取っていたのですが、アメリカへ渡ってほぼノーステップになるまでこの動作を省略しています。技術論的には既に引退したイチロー選手のものが確立していますが、バッティング練習時は2024年現在でも足を上げている大谷選手も、もともとは足を上げることで行っている要素(タイミングを取る、体重移動を行う、トップ位置を固定する、など)を、別手段で満たすことで動作の省略を可能としていることが分かります。
 一般論化されている部分では、投手のクイックモーションがこうした省略の代表と言えるでしょう。
 テニスや卓球のトップ選手の一部は、自分のスイングの予備動作を把握していて、相手がその予備動作からこちらの動きを予測していると感じた場合に、予備動作を省略して相手を混乱させるという戦術を用います。

 スポーツから離れると、優秀なプログラマーほど書くコードが短くなる、といった例が親しみやすいでしょうか。

 または実務性から離れますが、芸術の分野でも省略や余白が意味を持ちます。絵画の余白の使い方、つまり構図が意味を持つのはご存知の方も多いのではないでしょうか。彫刻の分野ではサモトラケのニケ像が、まさに省略(欠損)の美の代表です。短歌や俳句・川柳など短いフレーズに想いを込めることを美徳とする在り方も、その一部でしょう。さらに似た例では、シェイクスピアのセリフ回しや、中国の故事成語や格言、ことわざなどもこの流れにあります。古代ギリシャでは短くかつ聞こえの良いフレーズにどれだけ想いを込められるかが、貴人の教養として現れるとされていたと言います。


省略の作法

 と、ここまで省略というものが多くの場面で求められることを示してきました。
 しかしこうした省略には作法とも呼べる(筆者が勝手に呼んでいる)、踏むべき手順が存在します。「馬鹿と天才は紙一重」などと言われるのは、この手順を把握しておらず自分や周囲へ混乱をもたらす者と、効率化のためにあえて省略を行っている者とが、そのアウトプットだけを見ると似通った動作をしているためです。
 周囲を混乱させないためにも、自身をステップアップさせるためにも、きちんと手順を踏んで省略という動作を行いましょう。

 さて、前置きはこの辺りにしまして「どんな手順を踏むべきか」なのですが、ここまで省略せずに読んでくれた読者さんなら「もう書いていたじゃん」と思うかもしれません。
 そう。省略前にやるべきこととは、これから省略することを細部まで把握しておくことです。それこそ、疑問を持った他者に説明できるくらいまで
 それが、省略の例として挙げたスポーツ選手の個人的な技術なのであれば、わざわざ他人に説明しなくてもよいのですが、複数人が使用するシステムや、管理に自分以外が関わるものについては、きちんと根っこを把握しておかなければなりません。
 そもそも、この根っこ、すなわち基礎の部分を把握する努力を払わなければ、それは成長過程における省略動作ではなく、ただの忘却促進行為です。

 ここで言う「基礎」とは、基礎研究の「基礎」です。因果関係の「因」に当たる部分。その成果が成り立つための、目に見えない土台の部分です。この「基礎」を追い求めるのが学問の本質であり、学びという行為が人を成長させるための重要な要素でもあります。

 一般化するために抽象的なことをつらつらと書きましたが、前章で出たファミレスでの数学のお話で言えば、「途中式を省略していいのは、行が進むごとに何が起こっているか1行につき1単語で表せるようになってからだよ」という形になります。
 これは、それまでに習った数学用語を全て覚えている=前回範囲までの数学用語テストなら100点を取れる状態であることを前提に、自分が直面しているタスクの攻略に必要なことを論理的に把握し、省略した場合と省略しなかった場合を事前にメタ認知し、両者を比較した上で省略することを意図的に選択する、という手順を踏むことになります。

 裏返してひと言にまとめると「1段階下の子へ完璧に説明できるくらいの技量も無しに省略を行うのは惨劇への第一歩だよ」といったところでしょうか。
 慣れという名の無意識のもと、正規の省略と呼べない欠損が散見される今日この頃ですが、少しでもこの省略行為を習得する人が増え、不毛な衝突が減り、人類が進歩する可能性が上がったらいいなー、なんて思ってこの記事を書き起こしたのでした。

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