見出し画像

世界を旅し、食べる♪

■幼少期のイギリスでの生活

 私は、小学校3年生から小学校4年生にかけて
父の仕事でイギリスは、ロンドンから南で電車で25分ほどの
チズルハーストという町に住んでいた。
父の方針で、日本人学校も行かず現地の公立の小学校と
通っていた公立小学校の勧めで、毎週水曜日の
午前中は、隣町のブロムリーにある語学学校に通って、
午後から現地の小学校に通っていた。
語学学校と言ってもイギリス人が教えてくれるので
全て英語だが(笑)

 父は、クラシック音楽が好きで、
イギリス滞在中も英国ロイヤルオペラ、
イングリッシュナショナルオペラに、週末に
時々連れて行ってもらった。今思えば当時の
プログラムが欲しいが、恐らく今名前見れば、
驚愕の歌手達のオペラを見ている気がする(笑)

 当時、ロンドンですらほとんど日本人などおらず、
バスから中学生、高校生からも罵声を浴びさせられた
ものである!差別ってなレベルでは無い!(笑)
目の前に来て、中国人と日本人が結婚すると
たれ目と上がり目の顔になると学校や町でも言われたり(笑)
ある日、両親と町を歩いているとバスから
中学生だか、高校生だかの集団に罵声を浴びせられたので、
バスに向かって中指を立ててFuck off! Shut up your big mouth!!!
と叫んだら、父が「どこで、そんな汚い言葉を覚えて来た?
集団で殴り掛かってきたらどうする?」と言われ
「やり返す!!!」と言って「アホか!!!」と爆笑されたのを
思い出す(笑)しかし、よくバスから大勢に罵声を浴びせられた
事が多い。子供達がそういう態度に出ると言うのは、
その大人達、親達の考え方でもある。

通っていた学校でも良い思い出もあれば、
嫌な思い出もあるけど、同じクラスにも
カナダ人のナインというプライベートでも遊ぶ
友達や、年上のイギリス人のサイモンや
パキスタン人のサイードとは、学校でも
プライベートでもよく遊んだ!
女子もクラスメイトで、イギリス人のリズィーや
パキスタン人のモウナとも仲良かったのを覚えている!

イギリスの小学校から下校している幼き私(笑)

父は、生前、社会福祉学部の大学教員で
イギリスでもキリスト教系福祉団体に留学していたので
どんな時も知性を持って対応していた様に思う。
20代の頃でもヨーロッパで暴言吐いてくる奴には、
あまりにもムカつくとまだ中指立てて応戦してた私(笑)
今でもあまりにもムカつく奴には言葉で言い返すけど(笑)

最近、こういう記事が多く見受けられ、
勿論、指摘している内容は問題なのだが、
これを言い出すと、今もロシアとウクライナが
緊迫している様に、戦争や紛争を禁止しないのか?
世界から、裏社会を禁止し、消える日はいつか?と思う。
残念ながら社会は、差別と偏見と理不尽で成り立っていて、
だから、教育や社会の在り方がいつも問われていて、
禁止という法的な強制力では何も解決しないと思う。
単に偏見、差別、理不尽が地下に潜るだけ。
そして、それこそ独裁国家や共産主義の様に
恐怖心で人々を支配する社会へと進んでいく。

彼女の指摘をテレビや記事で見ていて思うのが、
まず、日本においては島国文化の島国の構造、
村社会の構造を考えた上での、差別の問題がある様に思う。
いつも私が言う、大陸文化と島国文化の違いが
理解できていないと、大陸的感覚で、島国を批判した
とこで解決しない問題が多い。

地方だと県外出身者がその地域のコミュニティに
受け入れてもらえない事は日本人同士でも起きるのだから。
(そして、海外でも似た事はたくさんある。)

私が幼少期にいたイギリスは、今以上に白人至上主義が
強かった訳で、そこで、ビジネス、文化、芸術、スポーツと
能力や人間力で日本人やアジア人が闘い勝ち取っていったものでもあり、
多様性な社会は、規制や規則では生まれない。
とはいえ、未だに大陸で生活した事がある人達は、
母国でいる以上に嫌な思いは経験した事があると思う。
それが外国人という立場で生きるという事でも
あるのかもしれない。

政治家やメディアも自身が大陸で住んだことが無かったり、
この方も日本の外で外国人として取材では無く、
生活を長期した事があるのか?と思う。
グローバル、国際化、多様性という言葉を
日本は近年凄く使用するが、使用している人達も
理解できていない人が多い気がする。
だから問題提起の仕方や理解力、伝える力が
乏しく感じる事が私は多い。

 ジェンダーであれ、国籍であれ、人種であれ
多様性の世界というのは、アイデンティティーに
対する対立や文化、習慣などの違いから
衝突が起こる世界だと思う。
そこに、信頼と尊敬が生まれない関係に
理解など生まれないし、例え信頼と尊敬があっても
理解できない事があるのも自然に思う。
社会が極論の理屈に焦点を合わせて、それを社会の
全体像として語るのは非常に危険に思う。

だからこそ、旅をするという事は、
自分の見る世界、見える世界を広げる意味に
おいてもとても大切に思う。

■クラシックの音楽家は旅をしてきた♪

 私は、ヨーロッパ内の移動は、景色を見ながらぼーっと
移動するのが好きで電車移動が多い。

電車の車窓からウィーンからプラハへ向かう途中

 こういう広大な大地を見ると、当時、モーツァルトなどは馬車で
旅をしたのだから、何を考え、何を思い移動していたのかなと
知りたくなる。モーツァルトは、人生の3分の1を旅に費やしたと
言われている。大きな都市だと30を超え、小さな町や村だと207ヵ所
だとか。そう考えると私も色々な地へ行っている方かもしれない。
私も国で言うと、イギリス、ベルギー、スイス、スペイン、フランス、
イタリア、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロヴァキア、スロベニア、
ハンガリーなど。

ドイツ・ハンブルクの船の上

2005年ぐらいに初めてSNSでmixiをやり始めて、
2000年代の前半は、カメラで写真を撮って
現像している事が多かったと思う。携帯やスマホで
こうやって写真を楽しむ時代がきたのは画期的な
事だと思う。モーツァルトの時代は、知らない土地の事を
絵ハガキや手紙で伝えて、人は知っていったので。
紀元前は、伝令と形で使者を送り込んでいたし。
誰しもが写真や動画を楽しめる時代が来たけど、
そのありがたみや凄さって感じているのかな?とも思う。

 人間は、自分達の習慣や初めて口にするものなど
抵抗があるのはあたりまえで、何事も慣れていくまでの
時間が必要となる。例えば日本人からしたら、
最初カリフォルニアロールなど寿司の概念からしたら
あり得なかっただろうけど、今や美味しく食べられ
受け入れられている訳で(笑)
異文化も融合していくと受け入れられていく。
だから、音楽や芸術、文化、食文化の理解は、
人間の理解に繋がる事が多い。

■ウィーンのアパート

 2001年~2013年は、日本とヨーロッパで半々ぐらいで
生活してきた。再び2018年からヨーロッパに行きだしの
2020年のコロナ禍から行けていない。

私が長年住んでいたウィーンのアパート

ここは、ウィーンのアパートで、台湾人のオーナーの物件。
外壁の壁は色を塗り直して綺麗になっていた。
たぶんお抱えの職人さんのポーランド人のマリックさんが1人で
頑張った様な気がする。
何年か前にオーナーの台湾人のお母さんが、
旅立ってしまい、2019年に息子さんとお嬢さんに
ウィーンで会いに行ってきた。台湾人のお母さんのおかげで、
屋根裏部屋だったり、窓のない明るい刑務所みたいな部屋だったり(笑)、
光熱費込みで安く貸してもらった。だから、私が長期滞在を
ウィーンでできたと感謝している。お母さんが健在の
頃は、Wien Mitte駅近くに日本食レストランを
やっていて、このアパートの1階に2号店を作っていたのだが、
本店は、お母さんが亡くなって売って、今は、
この1階の日本食レストランだけをやっている。

住んでいたウィーンのアパートの正面

お母さんは「岳は、成功する目をしている!ほんとよ!!!
だから、頑張りなさい!!!」といつも励ましてくれた!
国際コンクールの世界本選を終えて、
本選通過できなかった報告をすれば、よく頑張ったと、
お店からワインボトルをプレゼントと
お店で飲ましてもらった上に、お土産にもう1本高級な
ワインをくれたり(涙)私がお世話になっていた頃の
最後の方に、このアパートの1階で2号店の工事が
始まっていた頃だった。このアパートには、
2005年ぐらいからか2013年まではお世話になっていた。

■ヨーロッパでの自炊

 私は、自分の自炊を男飯岳飯(笑)と言って
SNSにアップをしたりもするのだが、ウィーンでも
借りたアパートで自炊をする。また、移動して旅を
する時も、ホテルで簡単なサラダやパンを食べたり
して、食事をとる事も多い。

ドイツのツヴィッカウのペンション

ここは、ドイツのツヴィッカウに数日滞在する時に
借りた安いペンション。この町は、作曲家のシューマンの
生まれ故郷の町。

自家製の生ハムとルッコラのバーガー

ツヴィッカウで食べたいつぞやの朝食。
噛って写メ撮り忘れたの思い出したパターンかと(笑)
ヨーロッパは、ヨーグルトが安くて美味しい!
ヨーロッパに滞在すると生ハムやルッコラが
日本より安いので、つい好きなので買いたくなる!

リガトーニのパスタとサラダ

奥にある黄色のプラスチックの器は、
¥100ショップで買ってヨーロッパに持って
行っていて、味噌汁もインスタとの持って行くので
少し日本の味が欲しくてスープ代わりに飲んだと思われる(笑)
日本だとパスタと味噌汁の組み合わせなんて絶対に
しないのに(笑)
リガトーニのパスタもヨーロッパだと安いので
見かけるとついかって、トマトと挽肉で作ってしまう。
日本だとリガトーニのパスタがなかなか売っていないし。
日本でもヨーロッパでもその土地土地のスーパーや市場で
食品を見るのが楽しい。
食材というのは、その地域性など色々と
見えてくるので。

■ウィーンでの自炊

 ウィーンでは、ヨーロッパ系のスーパーや
韓国系、中国系のスーパーで食材を手に入れる。
日本から小さな醤油やインスタントの味噌汁、
小さなごま油、鶏ガラスープの素などを持って
行っている。

安いお米を買って鍋でご飯を炊く

 ヨーロッパのスーパーだとタイ米みたいなのが多いけど、
イタリア産のお米で日本のお米に近いのを売っていたら買ったり、
SAMURAIとかと言う名前のお米も、まあ、こうやって炊くと
ヨーロッパで食べれるお米としては美味しく食べれる。
でも、電気窯より鍋で炊くご飯は、本当に美味しい。
子供の頃は、よくキャンプや飯盒炊飯したし、
火加減見ながらご飯炊くのも素敵な時間。

自家製ラーメン(笑)①

ヨーロッパにいると無性にラーメンが食べたくなる時があり、
日本から持ってきた、鶏ガラスープの素と醤油、ごま油で、
ラーメンのスープを作り、韓国系のスーパーで、乾麺だけ
売っているラーメンを買って醤油ラーメンを時々作る。
外で食べるとラーメンは、ヨーロッパだと高いので。

ここから先は

1,681字 / 14画像

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?