見出し画像

平和のバトンを未来に繋げる

 私のまちでは、毎年8月14日に追悼のサイレンが吹鳴されます。これは79年前の昭和20年8月14日、終戦の前日にまちの軍需工場が突如空襲を受け、約730人もの市民が犠牲となった日であるからです。今回はその空襲に見舞われたあるご老人との思い出を紹介させていただきます。

 ご老人との出会いは14年前でした。彼は今から79年前、動員学徒として学友たちと工場で働いていた時に空襲にあったそうです。
「あの日、自分だけが生き残ってしまい、学友たちに申し訳ないとずっと思っていた…。」そう語る彼の言葉からは、触れられたくないであろう心の傷が伺えました。

 そんなご老人ですが、ある日、彼の住むまちの橋があの空襲により焼け落ちた軍需工場の廃材を利用して建設されていた事、その橋の欄干に小さな「シンジュ」の若木が芽生えている事を知ります。
 そして実際にその橋の姿を目にしたご老人には、学友たちの魂が「シンジュ」の木に向かって『生きろ!』と叫んでいるように感じたのだそうです。
 「この若木を決して枯らしてはならない。できれば亡くなった学友たちの傍に移植してほしい。」
 ご老人の心からの願いは、多くの共感と協力を得て、平成18年に私のまちの慰霊碑の傍に移植されました。

成長したシンジュの木

 17年後の現在、私は年に数回シンジュの木の成長を確認します。そして「戦争の悲惨さを忘れないでください。」とのご老人の言葉を思い浮かべます。格好の良い言葉を使えば、平和のバトンがご老人から私へと繋がれたと感じています。この記事を読まれた皆さんにも、私と同様に平和のバトンが託されたと考えていただけたら幸せです。
 と言っても、私たちに出来ることはとても小さなことです。私のように身の回りの戦争にまつわるエピソードを紹介し、歴史を風化させないという手法もありますし、戦争は国家間の争いである事から国家紛争に興味を持つ事や、国政選挙などに参加する事も大変意義深いと思います。

 最後に、日本という国は本当に素晴らしい国です。
 先の戦争で国中が壊滅的なダメージを受けたにも関わらず、先人たちの復興への弛まぬ努力により、現在では世界有数の平和国家です。
 そうして培われた私たちの国の平和は、決して当たり前のものでなく、過去から紡がれ未来へと繋げていくべき大切な財産である事をこの機会に考えていただけたらと思います。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?