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コンゴ独立60周年に、ベルギー国王が親書を

1960年6月30日、ベルギー領コンゴはコンゴ民主共和国として独立した。

この日を祝うに際し、ベルギー現国王フィリップ2世がコンゴ民主共和国現大統領フェリックス・チセケディ(Félix Tshisekedi)に宛てた書簡が公表され、話題になっている。

書簡は、第2代国王であるレオポルド2世が、1884年にコンゴを私有国化し、相当に苛烈な、暴虐と言って良いレベルの支配体制を敷き、独立の後もその苦しみからは中々自由になれず、ある意味では現在まで連綿と続いている、という歴史を踏まえ、「最も深い遺憾の意を持ち続けている」と表現したもの。

これに対しコンゴ人コミュニティは、「まずは、良い意味での驚きである」と好意的に受け留めた。

1960年に実際の独立記念式典に出席した当時の国王ボードワン1世は、その席上で「レオポルド2世という天才のおかげでコンゴは国の体裁を成した」と言い放ち、1993年にその後を継いだ弟のアルベール2世は、コンゴについては基本的に何も言及しない、という立場を貫いて来た。

6月8日にブリュッセルで発生したBLMの大規模デモと前後して、

ベルギー国内ではレオポルド2世の銅像に攻撃が加えられ

ベルギー国王の負の歴史にきちんと光をあてるべきである、とする歴史委員会が連邦議会内に設置される、という流れになっていた。

今回の書簡は、こうした政治の動きとは別に、ひとえにフィリップ国王の希望によって作成され公表されたものだという。

書簡には、レオポルドの名前もなく、具体的な謝罪の言葉も記載されていないことから、「実は何も言っていないのでは?」という批判も上がっている。

植民地に支配者層として渡ったベルギー系コンゴ人(白人コンゴ人、と言う呼び方をすることもある)たちも、国策と呼べるレベルではない場当たり的な植民地政策に振り回されたわけで、謝罪なり国家による補償なりを求めるのは、黒人に限らないことも意識されるべきだろう。

BLMの流れだけから、コンゴとの歴史や関係性、謝罪や補償、を議論すると、こうしたベルギー系コンゴ人の存在を見えなくする危険性を含んでいる。

いずれにせよ、

「あらゆるレイシズムは認められない」
「本来なら、あなたの美しい国に直接赴いて、この書簡をお渡ししたかったのだが、このご時世なので、本当に叶わない。残念でならない」

という国王の書簡を、象徴にしては政治的に逸脱したスタンドプレー、と評する声は、現時点ではあまり聞こえてこないので、まあ、良かったんではないかな。


《参考》非常に複雑なコンゴ近代史の流れ↓。自分用課題資料。


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