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「周りの反対」は自分から出てるのかもしれない

富山の漁村で育ち、洗濯物は川沿いの共同物干し場で近所みんなで干し、冬になれば隣の宮に生えるイチョウの木から落ちてきた銀杏をストーブで焼いて食べ、ネズミは近所の天井からウチの天井へと渡り走り(奴らは歩くことを知らない)、「アメリカ」は「外国」の日本語読みだと11歳くらいまで本気で思っていた私が、巡り巡って今ベルギーで暮らしている不思議に思いを馳せていたときにふと気づいたことがあったので書き留め。(ちなみに今31歳ですが、同世代と話してても話合いません育った環境については。笑)

そんな昔ながらの暮らしが色濃く残る環境で幸せに育った私が人生に「なんでだよ!」って思うことが多くなったのは、進学ってのを経験し始めてからだったと思う。

高校進学ではロシア語専門の5年で即戦力で社会に出られる商船高専に行きたいと希望した。
親は普通科に行っときゃハズレはないからと普通科に入ることを希望した。

大学進学では外国語を専門にやろうと思って神戸の外大を希望した。
親はそんな遠いところじゃなくて地元で知名度の高い大学の文学部でも外国語はできるし将来何かとハズレはないからと隣の県の大学進学を希望した。

その都度親との戦争が勃発し、結局どっちも親の希望に沿った選択をしてきました。

‥で、結局巡り巡って今、神戸よりも遠いベルギーで暮らしている不思議。笑

それで今思うことは、当時は気づかなくて怒ったり反抗してたけど、全部自分が言わせてたんだなぁ、と。結局心の底では怖かったから、親に止めてもらいたかったんだなぁ、って。

実際、私自身が心の底から「怖くない」と思えたようなタイミングで、あっさり「フランス留学?行けば?」って親、言ってるもんなぁ。

なんだか本当に、起こる出来事は全部完璧なタイミングで起こってるのかもしれないなぁ、自分でどうにかできることを超えて、完璧に起こっているのかもしれないなぁと思った。

富山の漁村からフランス留学・就労→日本で就労→ベルギー移住。プレゼンクリエーターをしていましたが現在移住先のベルギーでの新しい生活で俄然人生もがき中。ここでは「留学」「語学」「海外移住」「ベルギー」を中心に日々の考えを振り返るために書いていこうと思ってます。