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ゴシック建築様式11世紀~15世紀



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ゴシック建築は11世紀後半から始まり15世紀くらいまでを指します。  「ゴシック」という呼称は、当時、もともと蔑称から始まり15世紀から16世紀にかけて、ルネサンス前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなすために「ドイツ風の」と呼んだことに由来するそうです。      

ゴシックのキーワードは、3つ。

〇高さ
〇尖塔
〇大きなステンドグラス


ロマネスクの次に発展した様式と言うことで、ロマネスク様式では意識されていなかった"高さ"を、限界まで天に向かって伸ばした形。          フランスのノートルダム大聖堂や、ドイツのケルン大聖堂などが有名です。

当時の雰囲気というと
人々はその時代を象徴する大建築(たとえば教会)を建てる時、そのスタイルは、しばしばその時代の経済状況と密接な相関関係があります。ゴシックは、まさに時代の経済状況が生んだスタイルともいえます。

10世紀半ばまでの西ヨーロッパは、南からイスラム勢力、北からはノルマン人、東からは騎馬民族のマジャール人の侵入の脅威におびえる時代が続きますが、その後は徐々に落ち着きを取り戻します。

変化はまずフランスの農村地域で起こりました。11世紀から12世紀にかけて、森林を切り開いて農地をつくる大開墾運動、そして農業の技術革新により生産が格段に伸びます。食糧事情が好転して人口も急増、フランスでは1100年ごろに約620万人であったのが、その後の200年で2千万人を超えるまでになります。

農業改革が進んだ農村地帯では、生産性が上がって労働力が余り、農家の次男三男はこぞって都市に出ることになります。その結果、都市部では「まわりに住むのは他人ばかり」、互いに疎遠な人々の群れの中に住むという、それまでの西欧の歴史になかったストレスに満ちた環境が生まれます。   (現代に通じるものがありますね)

そんな中で都市は、精神的な救いを求める人々が急増することになります。

ロマネスク建築が巡礼街道沿いの辺鄙な場所に修道院として広まったのと対照的に、今度は大都市の大量の住民に対して、魂の安息をもたらす聖堂が必要になったのです。当時、わずかな時間にフランス中に広まった聖母(ノートル・ダーム)信仰も、この大都市内におけるゴシックスタイルの大聖堂誕生の推進要因となりました。

文字を読めない市民に対しても図解的に教義を説くことができる「建築化された“巨大な聖書”」として、パリをはじめ、ストラスブール、シャルトル、ルーアン、ランス、アミアンなどの大聖堂が聖母マリアに献じられることになります。(聖母マリアを献じるカトリック教。文字を読めないため市民の心を導くレオナルドダヴィンチ等々の方々が描いてきたものもつながってきますね)


ゴシックとロマネスクと比較するとざっくり、このようになります。

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(1) 尖頭アーチ

ロマネスク様式などで使用された「半円アーチ」と異なり、文字通り「頭の尖ったアーチ」。天井をより高くし、視線をより上へ誘導するのに有効です。

(2) リブヴォールト

ロマネスクで登場した「交差ヴォールト」に、リブと呼ばれる筋をつけたもの。

(3) フライング・バットレス

より高くなったヴォールト天井は、いっそう外に開きたがる力が強く働きます。ロマネスク様式ではそれを分厚い石の壁で受け止めようとしていましたので、窓も小さくしかあけられませんでした。

ゴシックでは、壁の外側からつっかい棒のようにささえる梁(飛梁=フライング・バットレス)をあてることで、外に開こうとする力を受け止めています。これにより、壁はうすく、そしてステンドグラスをはめた大きな窓も可能となりました。


ノートルダム寺院(パリ/フランス)

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内部がすっきりと軽快に見える分、外観はどっしりと重量感に溢れています。


壁のノートルダム寺院(パリ)。外側からつっかい棒のようにささえているのが「フライング・バットレス」。1階の窓は尖塔アーチ型


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オーストリア ウィーンのシュテファン大聖堂

リヴ・ヴォールトとは、石やレンガで組積みされたヴォールト天井に、「リヴ」と呼ばれるアーチ状の筋を付けたもの。これにより、ゴシック様式の教会や聖堂の内部は、重厚感と華やかさが共存する神秘的な空間


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インターコンチネンタル メルボルン ザ リアルト
(メルボルン/オーストラリア)

建設年代が19世紀末(1891年)ですから、もし、学生に建築史を講義する立場であるならば、これは「純正ゴシック」ではなく「クラシック・リバイバル(新古典主義建築)のうちの“ネオ・ゴシック”」に分類すべきものですが、この形式もホテルへの応用事例が非常に少ないので、ホテル建築様式解説上の貴重な資料として取り上げたいと思います。

もともとは「リアルトビル」(事務所+倉庫)として建設されたもので、半円アーチと尖頭アーチが混在しています。隣接する「ウィンフィールド・ビル」(現在はホテルに併合)も、あたかも兄弟のように同様に半円アーチと尖頭アーチの両方が採用されています。ホテル建築にゴシック様式に固有の尖頭アーチが大々的に用いられた貴重な例といえるでしょう。

ホテルのサイトによると、売りは
(1) 「過去と現在の完全なる融合」
(2)「ヴィクトリア女王治世下における商業的景観として、世界で最も優れた事例のひとつ」
(3)「様式と暖かみは唯一歳月の重みのみが紡ぎ出すことのできる質の高さ」
等々。

伝統的保存建築物としてナショナルトラストの管理下にあります。ブルーストーンの玉石舗装の施された二つの建物間の道路には、ガラス屋根が掛け渡され、天井の高い、細長い形状の巨大アトリウムとなり、あらたな魅力が付け加えられています。

場所はメルボルンの市街中心、ビジネス街や展示場+会議場にも近い位置にあります

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ドイツ ケルン大聖堂

ゴシック様式の建築物としては世界最大を誇るというその規模は圧巻です。外観のみならず内部も見どころ満載で、リヴ・ヴォールトが美しい天井や、幻想的なステンドグラス、精巧な彫刻の数々に目を奪われます。

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大浦天主堂(おおうら てんしゅどう)                 長崎県長崎市

カトリックの教会堂で江戸時代幕末の開国後、1865年に建立された。

日本に現存するキリスト教建築物としては最古である。正式名は日本二十六聖殉教者天主堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。

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フランスパリ サント・シャペル

ゴシック建築では大きな窓に色とりどりのステンドグラスを設置することで、文字が読めない人にも聖書の物語を説くことが可能になりました




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