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vulnerabilityとは。不安のままでいること。-KP+体験記no.5


 こんばんは。お腹がすいてしまっている夜11:30すぎ。
前回のnoteで、今週と来週はedge workの週ですなんて話をした。今週のassignmentはcourageous explorationというタイトルで、要するに勇気がいることにトライしてみよう!というものだった。

 
 例えばとして幾つかのお題が出されており、それをトライしてもいいし、自分が思う、自分なりに勇気がいることをトライするのもあり、、と。
お題をざっと見ると、何それ簡単やん!て思えるもの(携帯を家に置いて1.5時間の散歩に出かけるとか)から、いや絶対したくねえ!!(ホームレスと一緒に過ごしてみる)というものまで様々。そんな中から、私的ちょうどいいレベルでこれやりたい!と思えるのものが、街中で人にインタビューするというもの。

なぜこれがよかったかというと、
昔に何度か、世界のいろんな人にインタビューして自分の夢とか、人生を聞いてそれを発信できたらいいなあ。。
と思ったことがあるからだ。
この発想はどこからきたのかというと、私は現実を着実に見つめてコツコツ歩くというよりは、大きな夢をみてそこにいる自分を妄想することでしか前に進めないタイプで。でも例えば高校生とかまでだとそもそも大海を知らないから、自分自身で描ける夢にも限りがあるし、ロールモデルがないとなかなか不安に思ったりする。
だから世の中のいろんな人の私はこうしてこの仕事してますとか、こういう生き方してますというのが知れたら、若い人たちはもっと色んな羽ばたき方ができるのかもしれない、、、と思ったことがあった。

 やることとしては特にスキルなんていらなくて、まあサイトがあればいいなとは思ってたけど正直インスタやnoteを使えば特に技術的ななにかがなくても、簡単に実現できるアイデアだ。が、実際必要に駆られてないとか、いやそもそもそんなことをやるの恥ずかしいな、、とか思ってしまってアイデアはアイデアで止まってしまっていた。


 そんなことを思い出して、お?これはもしかして今これがタイミングなのではないか!と思ったのだ。
そしてもう一つ、ファッションストリートスナップを取ることにも少し憧れがあって、写真撮ることは最近とても熱中しているし、街中で人に声をかけて質問したり写真をとること、を自分のタスクとして決めた。


 するとめちゃめちゃワクワクしてきた!なんかわからないけどいつもとは違う自分で入れるような気がする。

 と思っていたが、いざやると決めて外に出るとやはりすごくソワソワ不安と緊張が溢れてくる。
誰にしよう、、、あの人かな!いや、忙しそうだ。
この人!あ、カップルだった。1人じゃない人に声かけるのは個人的に恐怖が増す。
なんてネチネチし続けていた。


 すごく不思議だった。例えば旅行中とかに道に迷って人に声かけたことが何度かある。逆に街中で人に声をかけられたことも何度もある。だからそんなに難しく思えないのに、いざやろう!て思うとなんかすごく躊躇われる。「断られたらどうしよう」と「変な人に思われないかどうか」を気にしているのだと気づいた。


 とりあえず埒があかないので、場所を少し移動しようと歩き出したら、前から可愛いイヌが2匹現れた。おじいちゃんが連れていた。

これはチャンスかもしれん。と思って、できるだけ自然に声をかけてみた。
犬の写真撮っていいですか?
そしたら結構すんなり受け入れてくれた。たぶん彼は犬をきっかけに話しかけられることに慣れている。
ついでにあなたもと言ったらちょっとびっくりしていたが、私が犬たちとその間に映るおじさんを撮ることを許してもらえた。

めちゃ人懐っこいわんちゃんたち。可愛かったあ


 とりあえず3.4枚ほどバシャバシャと写真撮って逃げるように退散。。
とりあえず1人目はクリア。なんとか明日チームのみんなに言うことができる事実が一つできた、なんて思った。がこれチートだよなとも、ほぼ犬の写真ばかりだったから。多分あと1人以上は声かけないとやったとは言えない気がするななんて考え始める。


 そのあとしばらく歩いて、その間すれ違う人たちに声かけるか、いや、無理。。こえかけるか、、いや無理、。、。をまた繰り返した。
少し遠くのカフェに向かって歩いており、かなり近づいた頃には誰に声をかけるかを考えることに少し疲れていて、街の人々から携帯へと視線を移しかけていた。そんな時目の前に素敵なファッションのお姉さんが。

 よし、もうこのチャンスしかない!
と思い少し走って声をかけてみることに。

 今回は犬はいない。彼女は写真を撮る私を多分変な奴に思っていたような気がする。少し恥ずかしそうに、でも撮ることを許可してくれた。
私も声かけたものの全てをゆっくり話すほどの余裕もなくて、パシャパシャと3枚ほど写真をとりあえずで撮って即座にありがとうーって別れた。


ふぅ。。でもこれで私のミッションは一応クリアかな、もうこれ考えるのやめたい。


 今週、デンマークから帰ってきたばかりだからか、わたしはたいそう機嫌が良く、そのムードを自分で壊したくなかった。だから最低限をクリアしたらあとは自分をたっぷりと甘えさせることに。



 次の日、チームで何をやったのか、どう感じたのかを共有しあった。面白かったのは、人によって何に勇気が必要と感じるかは違うということだった。誰が偉いとかすごいとかではなくて、全く別々の場所にedgeがある。
そんなことを考えながら仲間と共有しているときに何度か出たワードがあった。

ボーナビリティ

んんん?なんやそれ?と思いあとでググってみることにした。どうやら、vulnerabilityとは不安な心や脆弱性、心のもろさと訳されるらしい。

この言葉にとてもピンときた。
そういやこの前のnoteにこのedge workは弱さとの向き合いではないかと書いていたなと思い出す。vulnerabilityも心の弱さのようなことを指すのではないか、私のなんとなくが確信になるような気がした。


 この言葉気に入ったぞ!と思ったので改めて調べてみると、どうやら、ted talkでのBrené Brownさんの講演が有名みたい。聞いてみることにした。

 


(わかりやすく日本語でまとめてあるサイトもありました。こちら)



 簡単にまとめてしまうと、自分の不安や恐怖を感じることを否定せずに、ありのままのじぶんをさらけだそうという事。自分的言葉に直すとやはりこれは弱さを認めることで、ここ数年考え続けていたことだ。

 個人的に面白いなと思った点はこのまとめではなくて、論の始まりの部分、彼女はそもそも「コネクション」について調べていたというところだ。
繋がりについて話す時ひとは繋がっていない状態や人と関係性を持てなかったことについての話になる、そしてそれは恥というものであるとわかった。
と彼女は話している。

つまり人と繋がるためには、恥の気持ちを捨てて、自分自身をさらけ出さなければならない、そしてそれが愛や帰属意識につながる
ということだ。

弱さを認めなければならないと思うことは今までに何度もあったが、それはあくまで自己成長のためだと私は思っていた。がそうではなくてそれが他人と繋がるためのものだということだ。逆に恥ずかしいという気持ちは人との繋がりを避ける。

言われてみればとても納得である。


フォルケにいたころ私は友達ができないと悩んでいた。がそれは自分が英語で会話したり、その人と会話が続かないことを恐れたりしていたから。オープンマインドにならなければ!と思うものの、なかなかそうはなれずに終わった。
オープンマインドって自分を曝け出すということ、不完全な英語や不十分なコミュニケーション力をさらけ出すということ。

 
 わーそこに繋がるのかあ、、。



 誤解を避けるために改めて言うと、彼女が言いたいことは、「不安な気持ちを感じるな」ではない。むしろ逆で「不安であるという事実を受け止めろ」ということだ。どんだけそれがつらくとも不安な気持ちに向き合わなければいけない。不安をどこかに押しやろうとすることではない。そうすると他の気持ち(楽しいとか嬉しいとか)を感じる事も麻痺するからだという。


 ここまで書いて気づいたのだが、私は年々弱さに向き合えるようになっていたような気もしていたが、実はまだまだだったのでは?と。
今回のedge workでもいかに不安を感じない方法を探しながら行動していた。そうじゃないと行動に移せないと思ったからだ。がしかし実際そうではなくて、不安を全力で感じるべきだったのではないか?と思ってきたのである。


 えええ、そうなのか、ええ、無理だよぴえん🥺


てなりそう。どうだろう。ここ最近、前まですごく勇気がいると思っていたこと、怖くてできないと思っていたことにすっごい小さいステップながらチャレンジできていると感じる瞬間があった。不安が少なく感じてきたからだ。が、むむ?それはいい事なのか?それは不安を避けているわけではないのか?じゃあこの感覚は正しい?
少し混乱してきたので、彼女の言葉から明確である部分をまとめて終わりにしよう。


 不完全な自分を受け入れること、自分は充分であると思う事。
それが恥を乗り越えるきっかけになる。そしてvulnerabilityの感情を感じた時に生きている証だと実感すること。不安な気持ちを無視しない事。

改めて肝に銘じて実践していきたい。


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