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組織での意思決定のための意思決定。-KP+体験記no.2


  1週間に一回の更新にしようと思っていたのだが、毎日濃い濃い日々を過ごせているおかげで、学んだり共有したいこと、記録して残しておきたい事が思いのほか多く、1週間でまとめようとすると内容がカオスになりそうなので、起きた出来事毎にnote更新していこうと思う。

 本日、チーム全体でのミーティングの時間があった。
先週の初め、この一年このメンバーでプロジェクトを進めていくにあたり、何を大切にしたいか、どんなことを行って行きたいのかなど、基本的な価値観や方針を話し合う時間があった。
Principles,Practices, Peopleの3つを軸にそれぞれの考えを出していく。

Principlesには一番基礎になること、価値観のようなものが主に入る。
「信頼」「責任」「自分の気持ちに正直に」「Yes and….のマインド」などなど。
Practicesは実際にどんな行動をするのか。
時間は守ろう、掃除しよう、チェックイン・チェックアウトの文化をつけよう、 MOGAをやろう(朝の朝礼のような時間、何しても良い)などなど。
Peopleはあまり埋まってないのと、私もどのことを指すかはっきりと理解していない部分もあるのだが、一つには休んでいる人への声かけやその日起きたことの共有があげられる。
ポストカードにそれぞれに案を書き出して、少し話をしているうちに先週の時間は終了したため、もう少し出た案を明確にしたり、アイディアを実行に移すために2回目のミーティングが今日行われた。

今日の初めのトピックは、全体で何かを決めるときにどう決めるのかというもの。
このプロセスが今までに経験したことのないもので面白かったのでシェアしたい。



Agreementは必要か?


私はprinciplesにagreementとかいた。フォルケで何度か経験したのだが、自分がいる(と思っている)コミュニティやグループで、何かをする・決めるときに、私がいないところでやることや決断を決められてしまうことが多く、それが自分にとって無視されているようで嫌だった。決める段階に参加したかったし、それを聞いてきて欲しかった。「こうだけどいいかな?」って。
このような意味を込めてのagreementだったのだが、すぐ後に別のチームメイトが「私は民主主義的なやり方が必ずしも正しいとは限らない」と言われ、面食らった。
私のワードチョイスが悪かったなと思った。agreementはみんながagreeしている状態=そのことに賛成している必要がある。彼女はそうでなくてもいいのでは?と投げかけた。確かに。私は決定の場に全員がいることを望んでいたのだと気づいた。(英語ブラシュアップしなきゃとまた思う)
一方で、民主主義=多数決だけがみんなでの決断の仕方ではないという考えに、いかに自分がそのやり方を当たり前だと思っていたのかに気付かされた。


多数決以外の意思決定方法

 今日のミーティングではいくつかの決断方法が提示された。
例えば、全員が賛成を言うまで話を続けると言うやり方(consensus)や、その決断が正しいか否かがわからない時だってあるので、ひとまずgood enouth to try(「やってみる価値はあるなー」くらいでしょうか)と思えるなら、完全に賛成していなくともやる(consent)と言うもの。ただ決断方法を決めるというのは大きなパラドックスを孕むもので、どの点において「よしこれでいこう!」となれるのかというのを決めるのもなかなか難しかった。話し合いの中で、今そもそも決めるのは難しい。状況によって最適な決め方は変わるのでは?と言う意見や、いろんな決め方を試してみる方が学べるのではないか、と言う意見が出た。ではどれをまず試してみたいのか?と言う問いに対して、consentを上げる人が多かったため、ひとまずはconsentのやり方でいいかを「賛成」「完全に賛成ではないがやってみてもいい」「やりたくない・反対だ」で票をとったところ、「反対」を指す人がいなかったため、そこでひとまず意思決定に関する議論は終えることにした。


決断しないのも一つの決断


 少し休憩を挟んだ後、次は掃除や買い出しなど日常的に行うべき役割/タスクについてどのようにシェアするのかと言うもう少し実務的な話に移った。私がこのパートを担当しており、始まる前は「日々のタスクについてそんなに誰も興味ないだろうし、時間を無駄にしたくないから、すんなりおっけーしてもらえるだろう。。」なんて思っていた。が、このプログラムの人たちは本当に議論するのが好きみたいで、今日の時間(1時間以上あったのかな?)では何も決まらなかった。(正確には何も決めないという決断をした)
 私はことが早く決まるように、日々のタスクの振り分けに関してある程度のラフな提案を作っており、それにもう少し良くするにはどうしたらいいのか?と言う話し合いをするつもりだった。が一人が「そもそも何かしらのルールや役割を決めることが必要なのか?」と言う意見を出した。自分のものは自分で片付ける、気づいた人がその都度やる、で十分回るのではないか?と言うことだ。
ここでconsentにのっとって票を取ることにしてみた。「何かしらの役割をそれぞれに振り分ける」に賛成、やってもいいか、反対か。

すると二人の人が反対に票をあげた。
反対の人たちの意見を聞くことに、するとその後にその意見を受けて何か言いたい人がさらに意見をいい、、、

「あれ?さっきの投票は結局なんだったのか?」

ここで私たちは決断のプロセスを明確化できていないことに気づいた。が時間切れ。次回に持ち越しとなった。今日は決断をしないと言う決断で幕を閉じた。


グループワークでの当たり前の違い

 正直、掃除などの役割分担でこんなに時間と労力を使うと思ってなかった。私の心の中は"I don't care!!"(どうでもいいよ!)なのである。あまりにも今までに経験をしたことのないプロセスばかりであった。そういう意味で気づきも非常に多かったと思う。
私は海外にきてから、私の慣れたやり方を「日本的」で、こちらにいる人たちにとって当たり前、慣れているやり方に「ヨーロッパ的」とすぐにラベリングしてしまうのだが、最近「私=日本の全て」でもないし、「目の前の人たち=デンマーク/ドイツ/ヨーロッパのやり方全て」でもないよな。と気づき、そう言ってしまいそうな自分を変えていこうとしている。ので今回は私と目の前のチームメイトたちとい書き方で書いてみるが、今回の私の気づきや私の慣れているやり方に共感できる人も多いのではと思う。

一つ目はいかに自分が周りに合わせているのかと言うこと。
これまでのグループでの決断を迫られた時、仮に自分が今上がっているやり方に賛成でなかったとしても、「これどうしてもやりたくない!!」という事柄でない限り、「ことがスムーズに進むように周りが賛成多そうだし、賛成に手を上げるか、、」と言う票の入れ方をしていたように思う。「反対」って言うのってかなり勇気がいるからだ。そんなにすごい強い意志がない限り、周りに合わせる方が衝突しないで済むと考えるのが当たり前と思っていたことに気付かされた。

そもそも、グループワークする際に私は自己主張<チームのみんなの快適さorことが順調に進むかのマインドセットでいることに気づいたし、それがみんなにとって当たり前でないと言うことに気づいた。
グループワークの中で「今自分の主張をいうべきか個人的に後で解決するでも良いのか考えてみてもいいよね」という意見に出会ったり、「自分がどう思うかだけじゃなくて、プロジェクトに人格があるとして、プロジェクトがどう思っているのかを考えてみる」という意見が出た。どちらも私にとっては当たり前で、それをみんなわかった上でここに来ていると思い込んでいたのだ。
ここでどちらが正解なのかということはできないし、正解はないとは思う。
あまりにも周りに合わせすぎる集団のめんどくささは日本でよく経験してきたし、一方で全員が常に自分の主張を100言わないと気が済まないみたいな集団も大変だと想像がつく。

今このコミュニティに関しては私はもっと自分の意見を言う心がけをした方がいいと思う。もしかすると、他の人にとっては自分が常に主張し続ける必要があるのか?と言う考えを持ってもいいのかもしれない。

断っておくが、チームメイトたちはとてもいい人たちで、誰かを論破しようとするとか、自分の正解を押しつけようとかしないし、比較的にみんなが意見を言えるような場を作ってくれていると思う。なので、グループワークがしにくいやリスペクトに欠けるといったような話ではない。それでも議論は尽きないし、決断の1つするのに膨大な時間が必要になるのだ。

いかにみんなが納得する形で組織を運営するのが難しいか、ということに気付かされる。そして私はこのプロセスのかかりように結構疲れてしまっている。
「もう言われた通りにするよ!」って言いたくなるのだ。
が、それもまたいかに自分が上から言われたことに従うと言うやり方に慣れていたのかを自覚させられる。正直、そっちの方が簡単なのである。こんなに時間かけて考えなくていいからだ。

でも時間は有限である。掃除の担当を決めることで1,2時間も割いていいのは一つの特権に感じさせられる。世の中の社会ではそんなことを悠長に考えている暇はない。時間内に何かをやり切ることも一つ重要なのでは?と言う思いが自分の中から消えないのだ。
(これは結構面白くてと言うのも、個人での作業だと私は先延ばしの天才で、決断はできるだけ後にしたいし、何かに取り掛かるのが大体人より5歩くらい遅い。が何かの組織にいるとそうは思わない自分の気持ちの違いが不思議ではあるのだが、この深掘りはまた後にしよう。)



まとめ

と、このように毎日がカルチャーショックな中で生きている。
このプログラムを通してI expect something I don't expect の心持ちを持っている。基本はめちゃめちゃ怖がりなので、基本予期しないことが起きるのはあまり快適ではないし、特にグループでの活動の時は自分の思い通りに進まないことにイライラしてしまうことが多い。が、この夏ボスニアやモンテネグロなど、自分の人生で行くとは全く想像しなかった土地に旅行に行く機会を得た時に、その予想外をすごく楽しめる自分に気がついて、「あ、予想外が起きるのもこんなに面白いのか」を思い始められるようになっていった。心にチャレンジをする余裕ができたのだと思う。だからこそ、今回はいかに予想外と出会えるか、それをどう楽しめるか?やその予想外によって開ける新しい世界があるのではないのか?と言う気持ちを持っておくようにしている。
 この姿勢をもてた自分がそもそも結構嬉しい。予想外を楽しむマインドセットがあると、なんでもokと思えるし、その分学べることも増えると思うからだ。

ここまで書くのに3時間もかかった。文字に起こすのってすごく時間がかかるよね。書いてて途中から「誰かと日本語で共有したい!!!」と言う気持ちが強くなってきていることに気づいた。ポッドキャストとかの方が向いているかななんて少し考え始めたり、、もっと時間かかるかな。とこの学びの記録の仕方も模索中です。以上!


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