♯25 耳管開放症という障害。
紹介状
長期留置型チューブの手術が終わり、術後の経過も良好。
且つ、今まで耳抜きをしないと話せなかったがそれもクリア、当たり前だ。
凹む鼓膜はもう無い、穴が空いているのだから。
耳抜きをしようとしても空気が漏れるだけ、聞こえの変わり方は重い音が軽くなったとでも言えばまだ伝わるのだろうか。
未だにこの説明はうまく出来ない。
ただ、この手術の時に私が母に言った言葉は
『お母さんの声ってこんな声なんだ』
と話したらしい。
あいにく私は覚えてないけれど。
確かに今までとはまるで違う音だった。
聞こえる音が増えたという感覚ではなくて、聞く音全てが知らない音だったような。
乾いた、軽い、そんな音に全てが聞こえる。
そりゃ簡単に言うならば、私はこの日までずっと呼吸をする事もなく永遠に水の中にいたようなものだから、聞こえる音が違うのは当たり前なのだが。
別にこの施術が初めてだったわけじゃない、過去にあの女医にしてもらったことはある。
だけど本当にすぐに取れてしまっていたし、酷く痛かった記憶しかない。
もう覚えているのは痛みだけ。
痛みと苦痛としんどさとストレス、何も人に伝わらない脱力感、疲弊。
今回この総合病院で全身麻酔で手術をして、やっと開放されたとは一切思わなかった。
絶対またなる、絶対治らない、わかってる、だってあの医者は言ってたもん。
心の病気、あなたはキチガイだから治らない。
じゃあ治らないね、またきっとなる。
ま、この手術から今日まで約15年経っておりますが未だに治っておりません。
退院も視野に入った頃、担当医が診察室で私に元の病院で良いよねと話した時やっと皮膚科医との約束が果たせた。
違う病院がいい。
あそこは嫌だ。
『そんな先生じゃないんだけれどな
じゃあちょっと遠くなっちゃうけどいい?
ここの病院に居た先生が新しく開業した耳鼻科があるんだけれど。』
あそこじゃなかったらいい。
どこでもいい。
『じゃあそうしよう、男の先生だけど大丈夫?
すごく良い先生だよ。』
確かに行くのには遠回りしないと行けない場所だった。
バスは出てないし、当時住んでいた家から最寄り駅まで歩いて20分。
そこから一駅、けど直線距離で結ぶと大通り一本で着く、だけど5キロは離れている。
自転車で向かうには永遠と登り坂で尚且つ歩道もない。
だから電車しかない、いわゆるコの字型の位置にある隣町、確かに距離がある。
しかしなりふりなんて構ってられない。
次の診察はそこの病院で決まった。
本来患者が住んでいる街の最も近い病院であったり、同じ市内の病院を紹介するのが一般的だ。
けれども私は、通うのには少し億劫な距離にあるこの病院を紹介されたこの日から、今現在もここに通っている。
大袈裟に聞こえるかもしれないが私はこの先生が居なかったらもう生きていけないと思うほどに助けられ、医者の概念も変えてくれた。
いや、言い過ぎた。
医者に対する目線はまだ変わっていなかった、出会う医者の八割がハズレすぎた結果だ。
それでも私の中で絶対的に信頼している医者は三人いる。
耳鼻科医が二人、口腔外科医が一人。
それ以外は正直もうちょっと、そう、あの、変わりすぎていたんだ。
さあ、退院。
もうあの女医に会うことはないよ、大丈夫。
新しい先生に会いに行こう。
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