♯15 耳管開放症という障害。

脱線。

話がまた大きく変わってしまうが、小学五年生になった時担任が変わった。
某寄付団体に命をかけているだいぶ教師としてあるまじき行為を平気でする大人だった。

今のようにネットが当たり前の環境だったら一発でニュースになってしまうおかしなおばさん。

例えば、とある国で地震が起きました。
子供たちがたくさん困っています。

『あんたたちみたいにのうのうと暮らせてるのは当たり前じゃないんだよ!
あの国はお金に困ってるんだ、明日必ず寄付金を持ってくるの!
10円20円程度で何ができるんだよ!
あんた達は一年生と変わらない脳みそしか持ってないんだね、可哀想。
一年一組の皆さん、今から私が当たり前のことを教えてあげますからね』

今思い出した中で一番ライトなエピソードがこれだ。

シャンプーした後のリンスを使うのはいけないこと。
生理痛は校庭を五周すれば必ず治る、血も少なくなる。
勉強ができないのは可哀想な子で将来股を開いて生きていくしかできないって話もライトな方だろう。

そんな担任だともちろん生まれるのは不登校。
私もそう、だけど今回ばかりは母も許してはくれなかったし何より担任も厳しく行くしか無かった。

生徒全員がストレスを抱えて、全員があまり話をしなくなって。
けれどもちろん褒められている子もいた。

成績が抜群に優秀な子。

あの時褒められていた子達はその後東大なんてところではなく、世界のランキングに堂々と入ってるような大学に行ったから、あの時から天才だったのだろう。

でもみんながみんなそうじゃない。
八割以上が平凡、だから溜まるストレス。

色々な派閥、転校、不登校、いじめにパニック障害になって完全に中学までも来れなくなった子もいた。

かくいう私はどうせ何やったって褒められもしない、怒られるか放置されるか、馬鹿にされるだけだったしそっちよりもまた給食にチョークがかけられるのが嫌だった。

聞こえてる?わからない?どうして?何で?でも聞こえてるでしょ、何で答えてくれないのって新しいクラスになったらまた言われた。
一昔前に戻ったことの方がもうめんどくさかった。

前より話せる子がいた分余計に嫌だなと思えた。
これで完全に一人ならまだ吹っ切れるだろうに、そうでは無かった。
完全な強がりだ、わかっている。

滑り台から突き落とされて顔の半分をコンクリートで削った事もあったな。
今はもう笑える、傷もほぼない。

授業の過程で私が大怪我をした時、どうせお前が悪いからと血まみれのまま担任に放置され、今でも左手の一部の感覚がない事は非常に怨んでいるが。

この怒涛の五年生を過ごしていた私は、当たり前に毎日耳鼻科の薬を飲む生活になっていた。
薬を飲んでもよくならない、耳の病気じゃないから治らない、と言われていたけれど、結局カメラで鼓膜を見れば水が溜まっている。

立派な滲出性中耳炎。
それならば薬を飲むしかない。
飲み切っても変わらない、じゃあ行くしかない。

あっちに行ってもこっちに行っても、家に帰ってもよくない。

どうぶつの森が多分、私の一番の友達だった。
あとは犬、あの日からずっといる犬。

急な話になってしまうが耳管開放症は別名怠け病とも言われている。
脱線した上にあまり直接的には関係のない話に今回はなってしまった。

次回はこの怠け病について書こう。

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